今朝は一時半ごろにセロクエルを服用。
深夜にトイレに行きたくなって目が覚めるついでにセロクエルを服用するのだが、昨晩は就寝直前にもトイレに行った分、目が覚める時間も少し後ろにずれたのだと思う。

それでも午前二時二十分には、また目が覚めるんだから、やんなっちゃう。
なんでその時間になると目が覚めるかなぁ...

それでも、入院当初よりは眠りが深くなってきている手応えはある。
必ず熟睡感を得られる時がくると信じて、ガマン、ガマン!

雨の合間に散歩に出る。
と言うか、散歩から戻ったと同時に大雨注意報が発令され、確かに大雨が降った。
大雨というよりも、あれは短時間ながら豪雨だったな。
しかし、私の散歩中には、雲間から太陽が顔を見せてくれた。


『どれほど小さな問題でも、それについての真実を見つけるほうが、どのような真実にも到達しないまま大問題について長々と論争を続けるよりも、よほど価値があると私は思う』

ガリレオ・ガリレイの言葉だ。

『進歩は、たとえ遅々としているように見えても、時として私たちの理解に大きな変革をもたらすのだ』

今、読んでいる「宇宙の扉をノックする」の著者 リサ・ランドール博士の言葉だ。

どちらも科学者の言葉。
しかし、科学にうとい私にとっても、示唆深く感じた。

私も、胸に大きな野望を抱いてる。
野望では響きがヨロシクナイかな。
夢、ロマン、理想、大義。
そんなもんだ。

決して大物になってやろうとか、デカいことをやらかしてやろう、などと考えているわけじゃない。
私一人が、残された人生でなせることなど、たかが知れてるだろうと思う。

今の私にできること。
私の目の前にある現実。
そうしたことと、常に真摯に、誠実に向き合うことが、結果として何らかの「真実」を自らも知り、周囲に知らしめることにもなる。
そうしたことの積み重ねが、社会の、この世界の、人類の進歩に寄与することになる。
私はそう信じている。
そして変革とは、こうしていつも、遅々と進むものなのだ。

そうしたことを自覚し、敢然と為すべき事を為す一人として生ききる。
私がしたいのは、そういうことで、入院前にしてきたことも、そういうことだ。
その信念に生きる。
それしかない。

そのためにも、聡明な心を手に入れたい。
少しの悲観の隙さえ許さぬ心を。

そのために、寝る。
そのために、読む。
そのために、書く。
そのための、入院。

大なる目的を想い出す度、心に深い安心を覚える。