今朝も零時半ぐらいに、とん服薬としてセロクエルを服用。
おそらくは、もうセロクエルがなくても、朝まで寝てられるとは思う。
それでもここは病院なので、寝ぼけて転ぶとか、食事の準備に困るとかないので、積極的に睡眠をとる目的で服用。

朝の夢も、やはり夢なので内容はキテレツなのだけど、そんなにイヤな印象は残ってない。
内容にいたっては、記憶にも残ってない。
今までと比較して、よく寝られた朝だと思う。
まだまだ熟睡感はないが、起床時のセロクエルの薬効は、だいぶ薄らいできている。

今日も本とノートに向かったが、今日は書き始めからスムーズな筆運びができた。
できたのだが、書き進めていくと、筆致がだんだんと怪しくなる。
最初のペースを維持しようと、かえって焦って筆運びを乱してしまったのが、自分でも分かる。

途中で散歩の時間をはさみ、再び本とノートに向かう。
今度は途中から筆運びが乱れることもなく、割とスムーズに書けたかな。

それでも、まだまだ自分が思うような文字ではない。
また、不意に胸に圧迫感を覚える瞬間が、こうしているときもあるし、散歩中にもあった。

だんだんと私の心の凝りが、ほぐれつつあるのかもしれない。
体の凝りは、ほぐれるとともに、今までため込んでいたものを吐き出しもする。
心も、同じようなものなのかもしれない。


普段は自分の中で「禁忌」としているのだが、今日は同室の一人の患者さんと積極的に関わった。
二人きりになれる瞬間があったので、その時に真正面から向き合った。

このような行為は、まず周囲から私のしていることを気取られてはならない。
他の入院患者さんからも、病棟スタッフからも。
前者に気取られれば、同様の行為を私に求めてくる人が、他に出てくるとも限らない。
後者に知られれば、私が他の患者さんの治療環境を侵害していると取られかねないし、私が自分の治療環境を損ずるようなことをしていると取られるかもしれない。
前者のケースは、特に困る。
後者は、私の主治医はこの方の主治医でもあるので、後の火消しが容易。
よって、前者ほど気を配る必要はない。

それにしても、大っぴらにやってよいことではない。

同様な配慮が、向き合ったその方にも必要なので、「私も治療のためにここに入っているのですから、普段は見て見ぬふりして、気づかないふりをしてますからね」と、一応念押しはしておいた。

この患者さんに向き合う行為、実は二度目。
一度目は、私がヘッドロックをかけられた事件の前日。
この方と私と、四人部屋を二人で占有し始めた時だった。


今日、わざわざ私から声をかけた動機は、今朝方、担当看護師とこの方との会話の内容にあった。
聞かずとも耳に入ってくるやり取りを聞いていて、「こんな認識のされ方、言い方をされては、この方が本当に気の毒だなぁ」と思ったから。

私からは概要、「自分の病の症状と向き合えるきっかけを、この病棟内で見つけましょう」ということと、「主治医を全面的に信じましょう」ということを申し上げた。
必ず見つかりますよ、きっかけは必ず身近にありますよ、あの先生とは八年の付き合いだが、本当に信頼に値しますよという言葉を添えて。


精神病院の医師、また作業療法士や精神鑑定や精神衛生にかかわるようなスタッフは、確かに精神科の専門スタッフと言えるだろう。
(必ずしもそうでないことも多々あるが)
しかし看護師に限って言えば、決して精神科領域の専門的訓練を受けてきた人達ではない。
看護師や准看護師の資格をもって、ここに職を得た人達であって、決して精神病に精通している人達ではないのだ。

精神病で治療を受けた経験をお持ちの人もいるかもしれないが、ほとんどは無縁できた人のように思われる。
事実、私の担当看護師の前職は、整形外科病院のオペ看。
病棟看護師の経験は、この病院が初めてだと言う。
それを聞かされたとき、なるほどと思った。


そして、今朝の同室患者さんと担当看護師の会話に、そうした看護師さん達の背景が如実に表れていた。
そこで語られた看護師の言葉を、その言葉のまんま捉えたら、この患者さんはよけいに苦しむことになると、私には思われた。

看護師いわく「あなたが退院を言わなくなった時が、退院の時だと先生もおっしゃってましたよね?」。
この言葉を、この患者さんは一言一句違えず、額面通りに受け取る。
そしてこう考える。
どんなに苦しくても「退院したい」とさえ言わずにいれば、私はすぐにでも退院できるんだな、と。


この方は、絶対にそのように考える病なのだから、看護師にも、そのような状況を前提において、話をする配慮というか、看護師としてのスキルが求められる場面だ。
しかし、現実には、そんな配慮もスキルも皆無。
そんな現実と、その現実を理解できなくて困惑の泥沼に首までつかってしまった人を目の前にして、私に「何もするな」という方がムリな話だ。


他の入院患者さんなら、決してこんなお節介はやかない。
たまたま私と同室になっているこの方なら、決して私に依存してくる心配はないと思われたから、他の入院患者さんたちから気取られぬように、コソッとやったのだ。


前回もそうだったが、今回も話を終えたとき、この方なりの自然な笑顔と共に「楽になった」と言われた。
言われた方の私は、話をしながら、若干、胸に圧迫感を覚えていた。