昨日は軽い頭痛も覚えながら、横になる。

疲れ眼もあったのだろうか、昨夕に続いて今朝も目の周りに痛みが。

お昼までは、寝て過ごす。


午後は、いつものように本に向かい、散歩にも出る。

本の内容をノートにまとめながら読み進めているが、なかなか思ったようにペンを運べない。

焦る。

集中すると、胸に圧迫感や痛みが。


ワイパックスを服用すると、あらあら不思議。

すぐに文字を書けるようになる。

これはなかなか長い道のりになるなぁ...


昨日、七月末までの療養計画書にサイン。

これで七月いっぱいの入院が確定。


入院も一ヶ月となると、長期入院なりの問題も出てくる。

何かと私にブツブツ呟いてくる方がいるので、やめてくれと直接お願いしたら、なおさら私への呟きが、頻度も内容もエスカレート。

看護師に相談したら、あれがあの人の症状ですからと説明が。

アァ、病気が言わせてるのね。

んじゃ私にゃ打つ手ないわ。

すべてをシカトすることに。

すると、なお突っかかってくるように言ってくるので、鬱陶しい。

そういう人が入ってる病棟なので、ここは我慢だ。



入院以来、私の内面と向き合い、入院にいたった経緯を振り返った。

そうした作業の末に、私の心のさらに奥底から起ち上がってくる何かも書いてみた。

自然に、完全に無理なく、私が本然的に欲する何かを感じながら。



私は結局、人を支えたいのだ。

頑張る人を応援したいのだ。

誰にも知られずに、一人、地獄の底で呻吟しながらも懸命に生きている人に、必ず幸せになってもらいたい。

それだけだ。


そうした生き方が、私という人間の能力を一番活かすことができる。

私の魅力を一番輝かせることもできる。

私自身が輝きたいと望むなら、私は徹底して人を支えるほかはない。

他は何もない。

私はとてもシンプルなのだ。



五十六年の人生をザクッと振り返ってみても、私はいつも誰かを支えてきた。

その第一号が、私の母親であろう。


その次は、その次はと考えると、笑えるぐらいに女性ばかりだ。

(選り好みをしたわけではない。結果的にいつもそうだっただけ)

そして、そんな私をいつも支持し、強烈に応援してくださったのも、不思議と女性ばかりだった。

(だいたいずっと年上)

加えて、一部の高齢男性。

二十代から現在にいたるまで、ずっとそう。


そんな私のあり方で、ちょっと潮目が変わったのが、父親を見送ったときかな。


本当にろくでもない男で、父親らしいことをしてもらった記憶は、完全にない。

逆に恥ずかしい思いや、情けない思いはいっぱいさせてもらった。


しかし、私は確かに、父親が稼ぎだした経済力で大学まで出してもらえた。

最後は私が建てた新居で暮らしてもらったが、そこでも父親が購入した建売住宅の賃借収入が一役買っていた。

(この物件購入は、母親の功績が一番大きいが)

(私が建てた新居の環境が、父親にとっては願ったり叶ったりだったことも、今にして思えば幸いだった)

その父親を最後まで支え、守ることができた。

(あの当時の心労の大きさは、今回の男性との状況の比ではない)

そして最期をむかえた表情を見たとき、私は思った。

この方は、こういう人生を歩むために、お生まれになったんだなと。

その時、生まれて初めて、父親に感謝することができた。

彼を尊敬することができた。

今までありがとうございましたと。

本当にご苦労さまでしたと。

親孝行とはこういうことかと気づかせていただけた、貴重な経験だ。


それから現在の住居に移るのだが、移った先で私を一番強烈に支えてくださったのは、私の父親世代の男性だ。

口を極めて私を賞賛してくださる。

ただの偶然と言われればそれまでだが、これは今までの私にはなかった現象。

だからこそ「潮目が変わったのかな」と思っている。



私は、人を支えるときこそ、その能力を遺憾なく発揮できる。

そんなときこそ、私は自身を輝かせることができる。


ならば、人を支えることをもって、私はこの世界に貢献してやろうと考えるのは、至極当然のことではないか。