毎日、飽きもせずに本に向かい、ノートにまとめながら読み進めている。
ここ数日、思うような字を書けずにいた。
以前のようなミミズ文字にはならないが、どうにも気持ちよく文字を書けない。
書いた文字の形もヨロシクない。
今日は改めて姿勢を正し、気持ちを落ち着かせ、一文字一文字丁寧に、しっかりノートに落とした自分の手元を見ながら書くことに挑戦。
すると、いきなり胸に圧迫感が。
圧迫感に気を取られると、アララ、文字がまた乱れる。
改めて手元に集中すると、また圧迫感。
ハイ、ノートに文字を書きとめながら本を読み進める作業は、私にとっては確実に、作業療法として機能しているようです!
散歩から戻って、今度は安定剤のワイパックスを服用して、再度チャレンジ。
胸の圧迫感に悩まされることもなく、割と気持ちよく文字を書けました。
その他は、午前二時頃にいったん目が覚めて、それから朝までゴロゴロは相変わらず。
変な夢もみているが、追いたてられたり、嫌な思いをするうような夢ではない。
総じて、一日が経つのが、相変わらず早く感じる。
話は変わって...
私がまだ学生の頃、よく両方の叔父、叔母から「お前は教師になればいい」と言われていた。
曰く、私より幼いいとこ達に対して、ものを分かりやすく解説してみせる私の姿が、教師への適性アリに見えたらしい。
また進学した大学も、教職課程に力を入れており、そういった意味でも、私が教職を目指すのはとても自然ななりゆきには見えたと思う。
しかし、私はいつも「それだけはあり得ません」と即答していた。
なぜなのか、その時の私にはまったく分かっていなかった。
ただ無性に、それだけは選択してはダメだと、どうしても強烈に思ってしまっていた。
周囲の学友には、取れるモノは取っておこうと教職課程を履修し、教員採用試験の受験資格だけでも取得する者は少なくなかったが、私はそれさえも「ムダだ」一顧だにすることはなかった。
その割には、社会人になってから子どもがかかわる運動には、思いっ切り力を入れて参加した。
地域を挙げて子どもを育もうと「地域教育」を掲げて、仲間と地域を走り、地域住民を巻き込んだイベントの開催に奔走したこともある。
夏休みには、必ずと言っていいほど、地域の小学生達と一緒にイベントを企画し、運営した。
毎月一回、小規模な集まりも開催していた。
そういうときの私は、常に黒子。
子ども達の自主性を重んじ、私はわずかな軌道修正や助言のみに徹した。
そうした活動を通じ、私が教職を選ばなかった理由が、おぼろげに見えたような気がした。
子どもとかかわることを職業としてしまっては、もはや子どもや、子どもたちの家庭と本音でかかわり合うことは、たぶん不可能に近かったろうと思えたのだ。
それに私は、子ども達が自力で何かを成し遂げ、何かを学んだその瞬間に、彼ら彼女らの表情に走るきらめきを見るのが、この上なく大好きだった。
そのきらめきを見るためだったら、何でもできる。
そう思ってたし、事実、そうした。
しかし、もし私が教職にあったら...
身近に具体例を見ていただけに、思うことは多かった。
そもそも私は、裏方こそが最も適役。
私は永遠のバイブレイヤーだと思っている。
表舞台でリーダーシップを発揮してほしいと言われたこともあるにはあるし、存分に発揮させていただいたこともある。
しかし、そうしたときでも、私は徹底的に裏方に徹した。
先頭に立って、ビジョンを示し、皆の士気を鼓舞するのもリーダーシップ。
と同時に、まったく日の当たらない裏方に徹し抜いて、一人一人をこまめに励まして回り、一人の脱落者も作らずに、全員をその人なりに起ち上がらせていくのもリーダーシップ。
結局リーダーは、自らが脚光を浴びるのではなくして、自らが率いる皆を主人公にしたてあげるのが、本当のあり方。
そのための裏方に徹し抜けるかどうか。
それがリーダーに必要な資質だと、私は若き日に教わっていた。
また、私にかかわってくださった皆さんが、多くの子ども達が、実地で教えてくれた。
その通りにしてきたつもりだ。
先の男性の状況も、その一例。
あくまで主人公は男性。
そして周囲の人たち。
私はどこまでも黒子。
だから、私がやってきた詳細を知っている人は、男性をおいて他には一人もいない。
それが黒子だ。
私はこのスタンスを、これからも変えるつもりはまったくない。
変える必要も感じない。
私は人を支えてナンボの人間。
その究極が、目の前の一人を必ず、徹して幸せにする。
本当に生まれてきて良かったと、必ず喜んでいただく。
それこそが私の本懐だ。