今日の散歩でキジを見かけた。

あの「桃太郎さん」に出てくるあの「雉」だ。


四十年近く前、まだ私が高校生の頃には、私の住まいの前でも見かけることがあった。

それ以来、野生のキジを直接目にすることはなかった。

それぐらいココは、山の中に位置するということだw


一昨日の夜、そして昨日の夜の八時ごろ、大きなアクビをした。

アクビなんて他の人には普通のことだろうが、私にしてみれば大事件だ!

今まで就寝時間が近づいても、眠くならないどころか、アクビさえ出たことはない。

今までは、就寝前の薬を飲んで、一時間なり二時間経たなければ出てこなかった。

そんなアクビを、二夜連続して薬服用前にしたのだ。

これは大事件でしょう!w


他にも少しずつだが、変わってきたなぁと感じる部分はある。

期間をかけて、ジックリ観ていきたい。



さて、昨日の続き。


例えば、今回の入院の直接のきっかけとなった男性との状況を、もう一度、別の観点から振り返ってみる。


男性が私に依存してきた。

と同時に、時の経過と共に、周囲の一切が私に依存した。

周囲が私への依存を強めていくのにしたがって、私は男性との関係をさらに強め、深めた。

それらがストレスとなって、私の身心を疲弊させたのだが、これを別の観点から捉え直せないか?

別の観点から探ってみる。



私を強靱な造りの弓に例えてみようと思う。

私を弓に例えるならば、男性との状況で私にのしかかった一切の依存は、その弓に矢をかかげ、めいいっぱい弓を引いたにも等しいことだったのではないかと、今の私には思える。

その矢が向けられた的は、短期的には男性を支えることであり、長期的には、これからますます加速度を加えて進む少子高齢化の問題に、私なりの一条の光を、自分の言動をとおして示してみせることだった。


短期的な的は、五月末の段階で射抜くことができたと判断した。

(その後の男性の状況は知らない。私は自分の入院に向かう足で、男性からの依頼事を一つ、片付けたのだが、そうした私の行為に男性は『自分が入院だというのに。ありがたい』と、涙ぐみながら感謝さえしてみせてくださった。その姿がすべてを物語っていたように思う)

だから私は、入院を決断できた。


長期的な的は、私がこれからも挑むべき課題だろう。

今回の入院は、そのためにもあると捉えている。



弓も、弦を引かなければ、矢は飛ばない。

長遠にして高い的を射ぬくためには、弦を目いっぱい、キリキリと引き切らねばならぬだろう。

限界を知らない強靭さをもった弓をもって。



弓はただの例えだが、私にはとても示唆深く感じる。


共依存によってもたらされたストレスを、今までは一方的に私の身心を損ずる、負のエネルギーとして捉えてきた。

しかし実質的には、私にとってのあらゆるストレスは、私をして矢を的のど真ん中に射たてるためのエネルギーでもあるのではないだろうか。


十分な強靭さをもった弓だからこそできることではあるが、私はその要件を満たしているのではないか?

(でなければ私はとっくに死んでいる)

ならば私は、自分の身心にため込んだ過去からのストレスを、未来へのエネルギーに変換させることこそが、大切なのではなかろうか?

それが私にはできるのではないか?

そして、そんな私が狙うべき的とはいったい何なのか?


私が、そのように強靭すぎる弓のような存在であること。

そして、負のストレスを有益な未来のエネルギーに変換させる方途。

そのエネルギーを費やすに値する目的。

それらをしっかりと自覚することが、私の本当の治療なのでは?

今はそのように考え初めている。