昨夕、ベッドの上で横になっていて、いきなり胸に強い圧迫を感じた。
来たかぁ~と思いつつ、とん服のワイパックスをいただきにナースステーションへ行く。
ほどなく圧迫感は解消した。
原因は、このブログ。
今日の内容を打ち込んでいて、いきなりきた。
今日、同室の方がお一人、退院された。
先日のヘッドロック事件で観察室に移されて空いたベッドも、空いたまま。
四人部屋なのだが、実質、二人部屋。
私にとっては、まことにありがたい!
さて、昨日の続き。
母親を早くに亡くしたということは、母親との共依存関係にあった片割れの私にも、当然、深い影響を残す。
私は、ほとんどというか、まったくもって自覚してないんだが、冷静に、論理的に考えてみて、母親の早い死が、私に影響を残さないわけがないのだ。
人生に「もし」は禁物。
それは後悔の種にしかならない。
しかし、この場合の「もし」は、この問題を考えてみる上では、有益かもしれない。
もし、私の母親が長生きし、その晩年を私が支えることができていたら。
一切の前提条件を無視して考えている。
あの父親と一緒にいながらの長生きは、地獄でしかないから。
その意味では、母親は公約通りに父親と離れることができて、幸せだったろうと思う。
それでも、敢えて「もし」を考えてみたら。
例えば、義母の最晩年に立ち会わせてもらえたように、母親と過ごす時間があったとしたら。
それもまぁ、冷静に、論理的に考えてみれば、一種の地獄のような日々になったかもしれない。
無事に双方が生きて地獄巡りを終えることができれば、その時は、何らかの共依存への私なりの回答を得られたやもしれない。
何にしても、どのように考えても、母親にとっては、地獄のような日々を経験せざる得なくなるだろうと思われる。
あれだけの辛苦を尽くした上での、さらなる苦しみの人生は、息子としても、確かにいただけない。
あの時、あのタイミングで亡くなったのは、母親にとってはベストだったのだ。
私の胸の内には「何でこんなことのなったんだよ?」との思いが、今も残る。
どれだけ冷静に、論理的に考え、その結論に合理性が認められようとも、それで「ハイそうですね」と素直に納得がいくほど、人間の心、人格って、簡単にはできていない。
もっともっと複雑なのだ。
(妹にあっては、こうして問題を相対化して考えてみる技術も余裕もない。だからなおのこと、あの母親の子どもの一人として、私はこの作業をやり遂げねばならない)
簡単に書けば、母親の死は、私の歪んだ愛情観を矯正する機会と、母親との共依存によって生み出され、今もって心の中に残る残滓を清算する機会を、アッサリと奪ったのだ。
もっとも、先に書いたように、母親が長生きしてくれていれば何とかなったのか?という問題ではある。
そのように考えていくならば、私が仮想共依存にもんどり打つように生きたのは、これはもう「必然」と考えるほかはない。
私はこの必然的な人生をおくらんがために、あの母親と父親の元に生まれ落ちたのだと、考えざる得ない。
それは、誰かの意思とか、ましてや神だ仏だなどの意思など、まったく関係ない。
これが私の意思なのだ。
これは私の選択なのだ。