睡眠は、相変わらず入眠に時間がかかるし、質も決していいとは言えない。

しかし、入院前や入院直後よりは、マシには なってきているようだ。


午前中は、病棟の共有部分の床へのワックスがけがあったので、ずっとベッドの上で音楽を聴きながら、横になって過ごした。

午後から本と向き合ったのだが、ノートに文字を思うように書けない。

ミミズ文字にはならないが、書いていて気持ちよくない。

さらに、胸に圧迫感が込み上げてくる。


三時に散歩に出た後、不安を抑えるとん服としてワイパックスをいただく。



さて、昨日の続きだ。


人生これ共依存とでも言えそうな私ではある。


そのおかげで、私なりの能力を、存分に開発することができた。

またそのおかげで、せっかく開発した能力も、思うように発揮できなくなった。


それと軌を同じくするように、私の周囲からは、共依存関係を築ける相手がいなくなった。

妻も義母も、実父も娘も、なにもかも。



私にとって共依存関係を築けない事態は、生きる目的を喪失することと同義だ。


だから私は、療養生活を続けられる現在の環境に移っても、なお希望を見出せず、苦しんだ。

共依存を渇仰している自分を、ありのままに認められなかったのだから、当たり前。

だから私は「愛」のような衣をまとった「共依存」を求めて、オカシイぐらいにのたうち回った。

その挙げ句として、二年前の5月に、飲まず食わずの寝たきり生活。

もちろん、死を意識しての確信的行動。

ありていに書けば、自暴自棄になったのだ。


その最終的なきわにいたって、「こんなバカなことで死ぬわけにはいかない」と妹に連絡をとり、その連絡が契機となって、二年前の入院がある。

その入院のことはさておき...



私がつい最近まで、ミミズがのたくったような文字しか書けなかったのは、そうした自暴自棄な私が、まだ心にしっかりと潜んでいたからだと、今だから自覚できる。


私の中で、自暴自棄と焦りは、ほぼ同じモノらしい。


焦るほどに、何も得られない私。

結果、自暴自棄になる私。

一枚のカードの裏表のようなものだ。

そしてこのカードが、ずっと私の心の底に突き刺さったままだったのだ。

そして今もまだ、完全には取り除けていないだろう。

これはそんなに簡単に除去できるものじゃない。

だから私は、今、ここに入院している。



冷静に私の過去を振り返るならば、私は常に「仮想共依存」とでも呼べる環境に生きてきた、もしくはそのような環境をもとめてきたと言えるのではないかと思えてくる。



例えば、私が三十三歳の時に始まった、最初の妻との別居生活で感じた苦しみ。


決して夫婦不和で別居となったわけではないが、妻が「別れても東京に帰る」と言うので、やむなく娘と一緒に帰ってもらった。

その後、三年間の別居生活になったのだが、その間の私は、面白いぐらいのたうち回った。

はたからは頑張っているように見えていたらしいが、内心は虚しさに苦しんだ。

頑張って仕事をして、家に帰っても、誰もいない生活に、私の心は悲鳴をあげた。

(父はいたが実質上は別生活)

送金のために、手元にいくばくも残らない生活で、体もやせ細った。

後半は精神科を受診し、安定剤を服用しながら生活した。


いくら自分の身を削っても、それを享受する家族がいないことからの虚無感。

(家族は、特に妻は私からの送金を存分に享受していたようだが、そのありようは最初の約束とも、私の期待とも違っていた)

そして最後は「この仕事を今生の最後の仕事にしよう」とまで思い詰め、死を覚悟するのだが、まぁこの発想からして、今から思えば、実に共依存的だったと思う。

そして、その「最後」と決めた仕事で、二人目の妻と出会うのだ。

こうしたドラマも、共依存な私だからこその展開と言える。


その後の二人目の妻との生活こそ、本当の共依存にほかならなかった。



そうした、私が成人して以降の生活は、ずっと仮想共依存状態だったのだろうと思えるのだ。


仮想という言葉が頭につくくらいだから、実際の共依存もあったわけで、それが母親との共依存関係だ。

私が東京に出るまでの我が家は、私と母親の共依存関係を基軸に回っていたように思う。

これが私にとって基本となる、共依存生活。


そうした共依存が日常の生活に首までつかって大きくなったのだから、成人してからも、普通に共依存関係を周囲に求めた私だった。

大学生時代の私は、いつも「卒業したらすぐに結婚」と考えていた。

恋愛そのものにはあまり興味がなく、女性と見れば「この人は私の妻たりうるか」という視点で観察していた。

その当時の私は、自分の健康管理のためには妻という存在が必要だからと考え、周囲にもそのように話していたが、何てことはない、今から考えれば、あれは「共依存関係」を築ける相手を求めていたのだ。

今になって、やっと自分の本音を知った。


そして、私の思惑通りに、卒業と同時に結婚し、三ヶ月後には娘も生まれるのだから、まぁ何とも調子の良い社会人生活のスタートだった。

(その後、パワハラでさんざんな四年を過ごすが、それはまた別の話)


そして気がつけば、もう56才だ。

私は共依存に踊り、狂奔する半世紀余りを生きたわけだ。



共依存は、確かに人生に、そして心にも暗い影を落とす。

だから私は病院にいる。

私は人生に「希望」の光を求めながら、「共依存」の闇を彷徨い続けていただけなのかもしれない。


しかし、それもまた人生だ。

共依存は悪いものだから、その人生も否定、ではなく、そのような人生をおくり、56才と遅ればせながらも、そうした現実に気づけた私だからこその人生もあっていいじゃないか。


その節目にし、人生リスタートのきっかけを掴むための入院だ。

だから、さらにさらに、この問題について考えてみたい。