昨晩は胸をわしづかみされたかのような痛みと圧迫感を感じながら、ベッドに入った。
こりゃ今晩は寝られないかもしれないぞと思いながら。
確かに、入眠には二時間ほどかかった。
しかし、それなりに寝られた。
途中でセロクエルを追加服用こそしたものの、それ以外はおおむね、今まで以上によく寝られたように感じる。
症状が出ても安心していられる、まさに入院中だからこその展開だ。
昨晩、胸に圧迫や痛みを覚えたのは、このブログが関係している。
今日の内容の下書きをしていて、いきなり圧迫感や痛みを覚えたのだ。
私にそのような症状を覚えさせた内容を、以下に書く。
昨日の続きとして...
そうした私なりの能力を身につけながらも、疲弊と老化で、発揮できなくなったのだが、私の焦りとか苛立ちの原因は、それだけではないとは思う。
しかし、かなりな部分を占めているとも感じる。
そもそも、私は何のために、そのような能力を獲得したのか?
そして、どうしてその能力を発揮できなくなったことで、例えばミミズ文字のような、投げやりな行動しかとれなくなったのか?
まず「何のため」について、いろいろと思案を巡らしてみた。
過去の記憶、その時の私の感情を、思い返してみた。
そうしてたどり着くのは、「母親に喜んで欲しい」、「母親に安心して欲しい」という、私にとってとても原初的な欲求だ。
そうした欲求は、私の身の安全を確保するためでもあったはずだ。
しかし、決してそれだけではなかったとも思う。
ここが大切なとこなんだけど、母親は私に、明らかに依存していた。
これはまちがいない。
私の存在を全否定し、どのようにどう喝しても、なお、自分のいうことに全力で応えようとし、実際にしてみせる私を確認することで、母親は母親なりに、自分のレゾンデートルを得ていた。
それは私の母親にとって、人生で初めて、自分の存在が肯定される出来事であったと思う。
私だけが、母親の本然的な欲求を充足できる唯一の存在だったのだと、今だから確かに思える。
私も本能的に(ほんの数歳の幼児が計算尽くで動けるわけもない)、そうした母親の欲求を満たせるのは自分しかいないと悟っていたのだと思う。
ごくごく自然に。
(そのために生まれたのだから当たり前だと、今だから思える)
また、そうした母親の依存に応えられることで、私も歓びを覚えることができた。
毎晩、明日の朝目覚めたら、これらがすべて夢だったということになっていればいいのにと願いながら眠りについた、あの日常で。
その願望は決して叶えられることはなかったが、それだけに、母親が私の存在を認める瞬間に、私は自分の存在意味をなおさら見いだしたのだろう。
母親から、あまりの絶望感によって引き起こされる強烈なヒステリーから、激昂する感情をそのままぶつけるられるその瞬間にも、底なしの絶望と、天高くはじき飛ばされそうな恐怖に震えながら、母親のすべてを受けとめられる唯一の存在として、私は自分の存在理由を、そこに認めていた。
(だから小学生高学年のとき、私は家出を毎日のように考えながらも、決して実行できなかったのだろう。そう考えると合点がいく)
(だからこそ、あれほど強烈な日常を十年以上にわたっておくりながら、私は生き延びることができたのだとも言える。私はそうした耐性を、幼児期に育んでいたのだ)
これは、明らかな共依存関係である。
あまりに歪んだ、共依存もここに極まれりと言える親子関係だったと思う。
簡潔に言えば、私と母親は、普通の親子間にみられる愛情よりもはるかに強く、共依存によって結ばれていたと思われる。
私たち二人は、いわゆる「無償の愛」というものを経験せずに育った。
そして私たち二人は、渇仰しても得られない愛情の代替として、共依存になることを、愛情と認識したのだろう。
そのような環境で育まれた私にとって、愛情とは、私と共依存関係になることを相手に許すことに他ならなかったと言える。
(これは母親自身についても言えるが、そんな人生の結末については、また後日に改めて)
とても歪んだ愛情観だ。
そのような私だからこそ、あの女性を妻にすることにした。
そのような私だからこそ、娘を溺愛しながらも、当の娘からは「絶対に怒らせてはならない人」と思われていた。
私にとって愛情とは、愛とは、埋めても埋めても決して埋まることのない存在証明を求める欲求に、際限なく応え続けることなのだ。
そう考えただけで、胸が痛くなる。
(今日はさほどでもない)
男性との状況を生んだのも、私のこうした愛情観と無縁ではない。
私はあの時、私でなければこの方の想いに応えることはできないと、確かに考えていた。
私の恋愛経験を振りかえってみても、同様な傾向が深く見てとれる。
若いときからつい最近にいたるまで、幾度か恋愛を意識したり、されたりしてきた。
(私にも若いときがあったw)
(この年齢になりながら最近もあったが『あり得ない』と断った)
しかしほとんどの場合、恋愛関係に発展することはなかった。
そのお相手との関係が、私にとって「私でなければ」と思わされる要素に欠けていたからだと思われる。
同時に、私が親密な人間関係や恋愛関係、例えば夫婦関係に求めてきたのは、母親との間に築いたような緊密な共依存関係でもあった。
しかし、よくよく考えてみると、実の母親との関係以外で、そのような共依存関係など築きようがないのだ。
またそのようにいびつな関係に、永続性があるとも思えない。
(それは母親と私の人生に如実に見てとれる)
誰が求めて私をいたぶり、それに懸命に応える私の姿をもって、自分の存在理由を求める?
(別れた妻はそうした存在だったとも言える)
そんな酔狂な存在があるとは思えないし(一人はいたってことだ)、実際にあったとしても、私がそれで生き延びられるとも思えない。
事実、妻に依存されまくった(またそれに応えようとした)私は、一度は自ら死を選択した。
幾度かは望まずとも死にそうになった。
彼女こそ、まさに私のような人間でなければ一緒に生活できないような人であったが、その代償はとてつもなく大きかった。
覚悟して一緒になったつもりだったが、三ヶ月もすると、その際限のない苦痛のスパイラルに、私のメンタルは悲鳴を上げていた。
妻に罪はまったくない。
出会ってしまったのだから、としか言い様がない。
結果、私は、普通に生きていたなら決して経験できようもない、数々の貴重な経験を積ませてもらえた。
そして今、病院で治療の機会にも恵まれている。
こうして、自らの共依存の歴史を、冷静に振り返ることができるようもなっている。
これは、各種の要素を突き詰めて考えあわせれば、すべてはあの妻と出会えたおかげと言える。
私も、今まで生きることを諦めず、そして今後もまったく人生を諦めるつもりなどない、という付帯条件付きの結果論ではあるが。
私の病根は、この共依存に求められると思うが、同時に、共依存のおかげで、私の今はあるとも言える。
大切な問題なので、さらに深掘りして考えてみたい。
そのための入院でもあるのだから。