今日で入院が五週目に突入。
二年前は、このタイミングで退院した。
今朝は、今までで一番、睡眠の質が良かったように思う。
途中覚醒する頻度も低かった。
夢は... ま、やっぱなんかどこか辛い面もあるドラマだったねw
で、昨日の続きだ...
その兆候は、四十歳のころから現れていた。
仕事を受けるに当たって、あらかじめ必要となる作業時間を見積もり、顧客の要望とすり合わせて納期を決める。
しかし四十歳を過ぎる頃から、自分で見積もった作業時間内では、仕事をこなせないように少しずつなってきていた。
自分の中での感覚と実作業時間が、ズレるようになっていった。
そしてその傾向は、年を重ねる毎にひどくなっていった。
そうしたズレに、最初の頃は、自分の睡眠時間を削ることで対応できていた。
(自営業とかフリーランスなんてのは究極のブラック労働だね)
しかしやがて、そうした自助努力自体が、自分の首を絞めるようになる。
削られた睡眠時間では、私の疲労が抜けなくなる。
同時期、家庭でも義母の介助の負担がだんだんと増してくる。
そこに妻の...(ここは難しい問題なので、もう触れない)
自宅で仕事をしていた私は、家にいる限りは、常にストレス源に囲まれている状態だった。
そうこうするうちに、仕事をしようにも、気力がまったく出てこない状態が、一番酷いときは一週間も続いたりするまで悪化するんだが、それはもう少し後の話。
(その頃、リサ・ランドール博士の講演内容をYouTubeで観てもの凄く感動した。その博士の書いた本を勉強している)
ある夜、私は夕飯を作り終え、配膳したあと、胸の痛みに耐えかねてキッチンで倒れ、動けなくなった。
動く体力はあったが、動く気力がまったく出てこない。
代わりに、涙がボロボロ溢れて出た。
それから、色んなことができなくなった。
家族の生活を守るために、仕事だけはなんとかやったが、他はダメだった。
かかりつけ医に相談して、考えられるフィジカルな病はすべて、調べた。
最終的に、かかりつけ医からは精神科医を紹介され、現在にいたっている。
そうした来し方を振り返ると、一度に複数のことを頭に入れ、先々の段取りを考えながら作業を行ったり、同時並行で複数の作業を行うことが、私はだんだんとできなくなっていたんだなぁと、今だから分かる。
あの家庭環境だからこそ磨くことができた、私の中の優れた特徴といっていい能力を、思うように発揮できなくなっていってたんだなぁと、分かる。
それは一種の、私なりのアイデンティティ崩壊に当たったのかもしれない。
だからこそ、涙が溢れてしかたがなかったのだろう。
そう考えると、合点がいく。
私の仕事のしかたの基本は、徹底した作業の標準化にあった。
色んな形で仕事に必要な材料(テキストデータとかイメージデータ、図面、プリント写真など)が届くのだが、私はそれらを、種類ごとに自分で決めたフォーマットに落とし込み、ファイルネームも私が定めたルールにそって書き換える。
そうやって入稿データを、作業内容にそって幾つかのグループに分ける。
そのような下準備をすることで、作業中は一種類の定形化された作業に没頭できるようになる。
それから、エイや!と作業にかかる。
下準備がすべてと言っていい仕事のやり方だった。
この作業中、私は一つの作業マシンの役割に徹する。
たとえて言えば、私自身を一台の作業ロボットのようにして。
手の位置や動かし方、その順番、リズムまで決めて、何も考えないでいいように。
思考を働かせないことで、ヒューマンエラーを最小限に抑えるためだ。
こうして書くと、なんだ一つのことしかやってないではないか!と言われそうだね。
でも、そうじゃない。
こうして作業を徹底して標準化することで、個々の段取りが明確になり、作業時間も読めるようになるのだ。
やっていることはたった一つだが、作業の全体から見ると、作業が種類ごとに並列化されていることになる。
ミスを最小化し、効率を最大化させる手法だ。
(つまり私は母親のもとで、そうとは知らずに作業の標準化を、自然に身につけていたってわけだ)
私はこうした標準化を、仕事だけではなく、家事にも応用していた。
こうした標準化の基盤には、一定時間内でこなせる私の仕事量はこれだけ!という大前提があった。
あったんだけど、私の身心が疲弊し、加えて老化もあったりして、その大前提がドンドン崩れていった。
泣きたいぐらい、崩れまくった。
さらに加えて、顧客も私の能力に全面的に依存するようになってきていた。
あぁ、これは顧客の質が落ちてきたなぁ、この仕事はもうやめないといけないなぁと考えている矢先に、顧客の方から「あなたは仕事ができすぎるから」という訳の分からない理由で切られるんだが、それはまた別の話。
以来、私は収入を伴う仕事はしていない。
療養に専念する(当初はそれどころではなかったが)生活に移った。
三年前からは、完全療養生活。
で、どこまで私は回復したんだろうと思っていたのだが、何のことはない、いまだに文字を書くことすらできないことに、この入院で気づいたってわけだ。
だいぶもって回したような書き方をしたけども、こうしたことは、すべて、私の内面を顧みる行為になってる。
で結局、何が言いたいかというと、私は蓄積した疲労と老化で、以前のようなパフォーマンスを発揮できなくなっていることを、文字を書くことで自覚し、苛立ちを覚えていたってことだ。
それが、私をしてミミズ文字を書かせていたのだと思う。
そんな内心の苛立ちを「そんなに焦らなくていい。時間はそんなに早くは進んでいない」と自分に語りかけることで、おさめることができた。
またここ、精神病院の閉鎖病棟は、見栄や体裁を張らず、心のあるがままにいていい環境だ。
だからこそ、素直に私の心も、自分の語りかけに応じることができたんじゃないかと思う。
そういうことだったんじゃないかなぁと、考えているわけだ。