昨晩、ベッド床面のセッティングを変えてみたのだが、案に相違してまったく体にあわなかった。
いつものように、深夜一時過ぎにセロクエルを追加で服用する。
目を覚ましたついでに、ベッド床面のセッティングを元に戻そうとするのだが、まったく体がいうことをきかなかった。
おかげで、朝を迎えて頭がシャンとするまで、寝心地の悪い状態を我慢しなけりゃならなかった。
それぐらいにセロクエルも、また睡眠導入剤のサイレースも強力なのだが、それでも入眠から2・3時間で、必ず目が覚める。
追加のセロクエル服用後も、一時間毎に目を覚ます。
私が睡眠で気持ちよくなれるのは、だいたい午前六時から朝食までと、朝食後から午前十時ごろまでの時間だ。
(本当はもっと寝ていられるし寝ていたいが、生活パターンを整えるためにあえて午前十時には本に向かうことにしている)
この睡眠パターンは、自宅で長時間寝ていた時と、よく似ている。
しかし、あの強力なサイレースやセロクエルの薬効をふりはらって、私の目を覚まさせるものは何なのだろう...
それは、私をしてミミズ文字を書かせていたものと同じものなのだろうか...
昨日からの続き...
幼い頃から、私の記憶に残っている限りでは三歳か四歳の頃からだと思うが、私はいつも同時に複数のことを念頭に置きながら行動していたように思う。
例えば炊飯。
住居の記憶から、三歳か四歳のころだったことは間違いないが、母親は私にガス炊飯器の監視と操作を命じていた。
そして、今どきの炊飯器とは違い、当時の炊飯器は、ガスの火力調整を手動で行う必要があった。
いわゆる「はじめチョロチョロ中パッパ、ジュウジュウ吹いたら火を引いて、ひと握りのわら燃やし、赤子泣いてもふた取るな(フルバージョン)」だ。
これを私に命じて、母親は買い物に出ていたような記憶がある。
母親が家を出た後、私は身じろぎもしないで、じっと炊飯器のフタを監視していた。
泡が吹き出しても、すぐに火を弱めてはならない。
少し待って、特徴的な泡が吹き出るようになったのを確認して、火を弱めなければならない。
そうしたことを学ぶほど、炊飯器の操作に習熟していた。
しかし考えてみてほしい。
たった三歳か四歳の子どもだ。
炊飯のリクツなんか分かっちゃいない。
火の取り扱いが危険だという認識も、あるわけがない。
それが、親の言いつけとはいえ、フタから泡が吹き出すまで、炊飯器の前でじっと座り、フタを凝視する行為が普通とは、今の私には思えない。
ガスを扱う家事を、三歳か四歳の子どもに任せて家を空けることが、普通に考えればどれだけ危険なことか。
私の記憶にはまったく残ってないが、母親のしつけ方が強烈だったからではないかと、今だから思える。
また母親は、かまどしか使えない環境で育っている。
火に対する危機意識が、かまど時代のままだったのかもしれない。
炊飯器の見張りはほんの一例。
同時に複数のことに気を配り、先々の行動を予測しながら生活することは、私にとっては普通のことだった。
(例えば取り込んで畳むまでの効率を考えて洗濯物を干すとか、そんなことを家事全般のタイムスケジュールを考えながら、同時に複数の家事をこなすとか。象徴的なのは晩ご飯の準備で、かけられる時間は一時間までと決め、カロリーと栄養バランス、彩りを考えたメニューを作りながら、作りあげた時にはキッチンがキレイに片付いている、といったようなこと。メニューは店頭に並んでいる食材を眺めて決めるのでわりと経済的。冷蔵庫内の余り物で美味しい一皿を作るのが一番楽しいとか、そういうこと)
そうすることが、母親の機嫌を損なわないことになり、そうすることが、我が身を守ることにもなった。
そして私は、究極的には、母親に喜んでもらいたかったのだと思う。
そのために、母親の目に模範的とうつる子どもであろうとした。
彼女の理想の男の子であろうとした。
母親の前で、そのような子どもでいられて、母親に認められることが誇らしかった。
(反面、私はかげで妹にはつらくあたったこともあったと思う)
私は、母親を満足させられるであろうこうした特質を、いかんなく伸ばした。
そうやって伸ばした私の特質が、気がつけば、私に独自の能力を開花させることになったのだと思う。
現在の住居に越してきてからのことである。
昔の書類を整理していて、一枚の企画書を発見した。
その内容を一読して「誰がこんな完璧な企画をたてたんだ?」と驚いたことがある。
よくよく見ると、書類の右下に、文責として小さく、私の名が記されていた。
改めて再度ビックリした。
私がまだ36才のときに(今から二十年前に)作成した書類。
あの時が、私の能力に、一番脂がのっていた時代だったのかもしれない。
その能力を、仕事にも最大限に活かした。
勤めていた事務所から、急に独立せざる得なくなったにもかかわらず、約半年で事業を採算ベースに乗せられたのは、ひとえに、私のこうして能力を高く評価してくれた顧客が、複数いたからだった。
私はこの能力を、自宅でも発揮する。
家を建てて四人暮らしが始まってから、自分の仕事はもちろんのこと、家計の管理、家事全般、地域の役員と、文字通り自分をフル回転させる。
そうやって、家族を、特に義母と実父は最期まで支えた。
(自画自賛になるが本当によくやったと思う)
しかし、この能力をいかんなく発揮できなくなる時がきた。
四十代末には、私の色んなところが軋み音を立てるようになっていた。