昨日の問診で、主治医との間に深い同意が成立した。

それは今回の入院目的にかかわることだ。

おかげで私の安心感は、とても増した。


そのおかげか、昨晩は比較的スムーズに入眠できた。

代わりと言ってはなんだが、午前三時半頃に目が覚めた。

眠くもあったし、体も辛かったが、今までにない勢いで覚醒してしまった。

そのために少々辛い目もみたが、その話はまた後日。


私の入院が長期にわたる目的について、病院側と私の間に同意が成立したことは、私にとってとても大きな意味を持つ。

ここにいてもいいんだとの、深い安心感をもたらしてくれるからだ。

(ここでの私はまったく病人らしくないんだ。そうしたことが、私に一種の後ろめたさを感じさせていた。その後ろめたさを払拭してくれる)

その影響で、今までになかった様々な症状も出てくるだろう。

(症状を出しやすくなっている)

そのために、きっと辛い局面も生じるはずだ。

それも入院しているからこそできること。

頑張りたいと思う。



精神病の治療でよく聞かれる言葉の一つが、主治医との相性。

本当に大切だと思う。

もしかしたら、それがほぼすべてではないかとさえ思える。



私の主治医は、まだ私が島に暮らしている時にお世話になっていたかかりつけ医からの紹介でお世話になり始めた。

このかかりつけ医との出会いからして劇的で奇跡的。

小説でさえも、ここまで主人公に都合のいい筋書きはないだろうと思えるぐらいのストーリーがある。


そのかかりつけ医から、「医大時代の後輩が医局の教授の不興をかって、この近くに飛ばされてきた。真面目な奴だから」と紹介されたのが、現在の主治医である。

確かに、医局という群れ社会をうまく泳げるタイプじゃないなと、私も第一印象で思った。

しかし、現在の職場である病院では、いつの間にか診療部長だ。

(自宅から遠くなるにもかかわらず、なぜか私の居住する街の病院に転職してきた。だから私はずっと同じ人を主治医として頼りにできている。これもまた奇跡的な話)

およそ肩書とは無縁そうな人なのだが、確かに精神科医としては優秀なのだ。


この先生の外来診察日は、待合室がいっぱいになるし(だから完全予約制になっている)、この先生の初診を受けるには、現在は三ヶ月ほど待たされるらしい。

(問診の時間が長いからとも言える。よく患者の話に耳を傾ける先生なのだ)



昨日の問診では、このブログで綴ってきた内容を、要点だけをかいつまんで話した。

そうした話を通して、主治医との間で、私が幼い頃から常に限界いっぱいのところで生活してきたこと(限界状態が日常だった)、そのために溜まったストレスがかなりのものであること(まったく実感はできてないが、これは本当にかなりなものなのだろうと推察はできるようになっただけ、以前に比べれば大前進なのだ)、この溜まったストレスは自宅静養では解消できそうにないこと(この自覚は三週間の入院でますます深まった)、私の症状の根本原因がこのストレスにあること、この度の入院でこの根本原因の除去に挑戦することなどで同意が形成された。


その話の中で、トピックスとしてあがったのが、私の熟睡感。


私が「本当によく寝たな」という実感を伴って起床できた最後の朝は、もう20年近くも前のことになる。

そのさらに前の熟睡感を伴った睡眠の最後の記憶は、大学生時代にまでさかのぼる。

だから約35年も前の話だ。

正月の短期間だけ帰省した時に、三が日をほとんど寝て過ごし、四日目の朝に目覚めた時の熟睡感だ。

そのさらに前となると、中学二年の野外キャンプ。

という風に、こと熟睡感となると、その都度の記憶がチャンと残っているぐらい、その機会は稀だった。


同時にあげられたのは、私がリラックスする方法を知らないという点。

今のところ私が「これなら」と思っているのは、良い音で音楽を聴くことぐらいだ。

良くない音だと、逆にストレスを感じるのには困ったものだが。

(だからオーディオ趣味はやめられないw


それに付随して、私の五感が(第六感も含めて)尋常じゃなく敏感ということも話題にのぼった。

こうしたことは、いついかなる環境の変化(幼い時はこれが母親だったわけだ)にも即応するために、常に研ぎ澄まされてる状態にあったのだとも言える。

それが、日常的にストレスを溜めていく原因にもなっている。

(だから入院中の今、外音を効果的に遮蔽できるイヤモニを耳に刺し、常時音楽を流している。外音の刺激【病棟内の雑音】からのストレスを回避するためだ)


そうしたことは、すべて、心の奥底に鬱積したストレスに原因を求められると考えている。

それを、この入院を機会に、全部吐き出そうと、全部が無理ならそのきっかけ位にはしようと考えている。



今朝の睡眠を振り返ると、さっそくやって来てるなぁといった感がある。

それほど、今までとは異質だった。

結果として、入院して以降では一番気持ちよく起きられてもいる。



溜めたストレスを全部吐き出すと言うことは、私の中には残っていない、私の中の幼い私が抱えている記憶を、自分の記憶とするということでもある。

それは、たぶん今まで私が経験したこともない、途方もない嫌悪や拒絶感、精神的な痛みを伴うことになるんだろうと思う。

その時、私がどのような状態になるのか、まったく見当がつかない。

しかし、その前駆症状はすでに現れている。

かすかではあるが、今までになかった兆候を心にも、体にも感じている。



いつかは通らなきゃならない道なんで、頑張ります。