今朝の睡眠は、昨日ほどには気持ちよくなかったが、入院当初を思えばまったく文句を言えない質的レベルの高さがあった...
どうにも勉強している理論物理学に、文章表現まで感化されているようなw
現在の勉強進捗のペースは、以前ほどの早さではない。
お昼前後まではセロクエルの影響が残っていて、頭の回転効率が落ちているということもあるが、それ以上に、内容が難解になっていることが、一番の原因だろう。
これは、著者の観点から言えば、私のおつむの程度が低いとも言えるし、既存の物理法則のとらえ方ばかりに脳が固執していて、なかなか量子理論や素粒子物理学の考え方になじめないでいるからとも言える。
(あぁ、やはり勉強の影響が...)
理論物理学は、主に物質の基礎的な構成要素を扱うので、私たちの五感では決して観察することのできない極小のスケールや、極端に大きなエネルギー、そして光速か光速に近い速度と格闘することになる。
そこでの物理法則は、私たちが日常的に経験しているそれとは異質。
よって、それを学ぶ上では、強い違和感を覚えることになる。
(しかしそんな「異質」で「難解」な物理法則の上に私たちは存在しているんだ)
まずはこの違和感を覚える理由を学び、そして次にその物理法則が示すところに、理解できるかどうかはさておいても、まずは馴れなければならない。
そうした、ある意味で思考や想像力の柔軟性(とは言っても余剰次元をイメージできるとはまったく思っていない)を獲得するために、そうとう汗をかいた。
著者と訳者、そして監修者がそうとうに優秀なんだろう。
私のような理工系とは無縁できた人間にも、なんとか難解極まりない量子力学や素粒子物理学の概要を、おぼろげながらにでも理解できるのだから。
(もしかしたら理解している「つもり」だけかもしれないが、それでも十分におもしろいしエキサイティングだ)
やはり文章力や読解力は大切!
微積分も分からない私だが、それでも分かった「つもり」ぐらいにはさせてくれるんだから。
さて昨日からの続き...
本当に触れたくない、嫌でしかたがない記憶だ。
大嫌いな私の姿だ。
時は小学校の高学年の頃としか思い出せない。
夕暮れごろ、もしくは日が暮れてから、私はたびたび家出をしたくなる衝動に駆られた。
具体的に、どこで一夜をあかそうかと考えたりしていた。
そうすれば、あの母親は私を心配してくれるだろうか?
必死になって探してくれるだろうか?
そんなことを考えていたように思う。
とても歪んだ愛情確認衝動だ。
本当に行動を起こしかけるギリギリまで悩む。
で結局、心配するであろう母親の姿が想像されて、家を出ることはなかった。
(毎朝の新聞配達をどうするんだ?という理由もあったが、そちらは二の次)
今となっては、かすかで曖昧な記憶。
しかし、私が記憶する限りでは、これが現在に至るまで私を悩ます元凶のひな形になったように思う。
この歪んだ愛情確認は、長じても、ひょんな事から突拍子もない行動となって、衝動的に現れた。
目の前のテーブルに、額を思いっきりぶつけて見せる。
目の前の柱に額をぶつけてみせる。
ガラス製の灰皿を思いっきり額に打ちつけてみせる。
(額が破片で切れて出血が止まらなくなったこともあったなぁ)
執拗に何度も何度も、額を打ちつける。
それら以外にも、あえて自分を痛めつけるようなことを、よくしてみせたものだ。
(最初の妻は大したもので、そういうときの私をいつも適当に放置した。反応しない相手に自傷行為をしてもしかたがない。私は自傷行為以外の代償行為を求めざるえなかった)
私は、頭突き勝負で一度も負けたことがないくらい、頭蓋骨が分厚く硬い。
ぶつける対象が木製だったりガラス製だったりする分には、特に恐くもない。
せいぜい数日の打撲痛が残る程度だ。
なので、そうした衝動的な行動の内容はともかくも、そこにいつも目撃者がいることの方が、私には重要だったのだ。
何の罪もない目撃者がいることが。
その目撃者が、故もなく罪悪感に襲われることが。
その反応を見ることが。
本当の無償の愛情を知らない私は、そうした歪んだ感情を相手から引きずり出すことで、満たされることのない愛情欲充足の代償行為としていた。
さらには、私に常に内在する苦しみ、悲しみ、辛さ、孤独感などなどの一切のネガティブな私への理解を求めた。
そこが問題の核心で、同時に私の自傷行為の目的。
自らが、自分の心の中にトラウマとして残された溝を埋める努力をいささかもせず、相手に「跳び越えて来る」ことを望んだのだ。
私の心の中の問題だ。
誰も見ることも触ることもかなわない。
だから、誰にもそんなことが、できるはずがない。
私は、それが分からぬほど幼稚で、それに伴う行動も必然的に拙さで満ちていた。
それは、たとえて言えば「劇場版 新ヱヴァンゲリヲン 2.0 破」作中で、碇シンジが初号機を私的に占有し、ネルフ本部破壊を企て、果てはネルフを去る決断を、あえて父親の碇ゲンドウの前で演じて見せた姿とかぶる。
見ていて、あまりに幼稚で、拙く、いかにも独りよがりで、醜悪でさえある。
それで最後は「ボクはヱヴァンゲリヲン初号機パイロット 碇シンジです!」とか叫べるとか、あのラストに至るシーンは、遺憾なく碇シンジのACぶりを描いていると思う。
大嫌いだけど、大好きな作品だ。
(対して碇ゲンドウも独善的と言う意味では独りよがりと見えなくもないが、彼は自分の目的達成のためならば、躊躇なくかつ周到に何でも利用する。己の魂までも。それが碇ゲンドウが「大人になれ」と呼びかけた生き様なのかもしれない)
(庵野秀明監督はよくあそこまでえぐった描写ができるよなと、驚くばかりだ。そりゃ心身共に疲弊もするだろうさ。制作進行中と噂の「シン・ヱヴァンゲリヲン」が楽しみでしかたがない)
過去二年間で、私の、稚拙な動機から目の前の相手を目撃者にしたてあげた上で、自傷行為に走ってみせることは、完全になくなった。
行動の上で、そうした衝動性を見せることは、二年前のある時を境に、なくなった。
ある面では、私の中の幼稚で拙い私を、自力で超克できたとは思う。
しかし、完全に克服できているわけではない。
だから私は、今、病院にいる。