今朝は、入院して一番気持ちよく眠ることができた。


やはり深夜に、追加でセロクエルを一錠服用したし、相変わらず深夜から朝にかけての眠りは浅い。

それにしても、今朝の眠りは気持ちがよかった。

朝食後、そして昼食後にも短時間の睡眠をとったのだが、それらも気持ちよくすごすことができた。


音楽を聴くにしても、聴覚がワサワサしない。

私の耳の形にあわせて作った(カスタムメイドのイヤホンである)イヤモニの装着感にも、違和感がない。

今までは、左耳に違和感が強く感じられることが多くて、音楽を聴いて少しストレスを感じることもあったのに。


昨晩までに、今に至るまでの経過のふり返りをほぼ終え、自分なりに納得のいく解釈も得られた。

今朝、そして夕方、その解釈に、新たな一文を加えた。

以上で、ほぼふり返りと検証は済んだように思う。

そうしたことが、私をして安眠に向かわせしめたのかもしれない。

今後の経過に期待だな。


ついさっき、回診に回ってきた主治医に、そのふり返りの内容と解釈のあらましを伝えた。

やはり声に出して自分の内面を晒すのは、ストレスになるようだ。

それにしても、先日ほどのものではなかった。


精神病の治療に明確な答えはない。

万人に当てはまる定型的な処方箋はあり得ない。

精神病にも外的な要因、環境因子はあるだろうけど、究極の原因はいつだって自分の中にある。

そして、その結果の責任も、自分に帰着する。

よって、最後はやはり自力で、どこまでも自分の責任に於いて原因を究明し、特定し、深く認識するしかない。

(その主体者の心が病んでいることが、そうした作業をとても困難なものにしている。それを、時間は年単位でかかったが、自力でここまでこられたのは、私の幸いとしか言いようがない)

医師を含める医療従事者にできるのは、寄り添い、耳を傾け、患者のその課程を辛抱強く見守ることだけである。

彼らが治すのではない。

私が治すのだ。



話を昨日の続きに戻す...



私に心的外傷を刻みこんだのは、家庭だけではなかった。

家庭の、特に母親の存在ほどではなかったが、周囲の住民から不条理な扱いを受けることもあった。

あれは本当に悔しかったし、情けなかった。

悔しさや情けなさを覚えたぐらいだから、家庭内で受けた扱いほどには、強烈な恐怖にはならなかったのかもしれない。

しかし、そうした経験が、今もって私が人と接する上で、フィルターのような働きをしている気がする。



私が25の歳に、娘が生まれる。


私は娘を本当にかわいがったと思う。

「女の子は膝の上で育てろ」という言葉があるそうだが、文字通り、その通りにした。

娘の指定席は、彼女が小学校低学年頃まで、いつも私の膝の上だった。

寝るときは、私の腕が、彼女の枕になった。


一度だけ、声を荒げて叱ったことがあるが、今となれば痛恨の極みだ。

叱るべきではなかった。

あれは今でも悔やまれる。

今も想い出す度、胸が痛む。


何ごとにつけ、娘とはまっすぐ目を見つめ合い、彼女の言い分に耳を傾けた。

彼女の感じたこと、考えたことを可能な限り理解し、その上で私は自分の意見やアドバイスを、娘に噛んで含めるようにゆっくり話した。

それらが済めば、最後は抱擁。

なににせよ、最後は娘を受容した。

彼女が言うこと、すること、全てを無条件に受容した。


それはまさに、私が母親にして欲しかったことだ。


娘の成長に、たった10年程だったが、深くかかわれたことは、私にとっては本当に幸いだった。

もし娘がいなければ、私はとっくに社会からドロップアウトしていたかもしれない。

娘の存在があったから、私は壊れそうになる自分を、ギリギリのところで守れたんじゃないかと思う。


そんな娘なので、当然の如く、猛烈なお父さん子だ。

しかし同時に、娘は私を「決して怒らせてはいけない人」と強く思っていたようだ。

「お父さんは怒らせると怖い」と、友達に語っているのを見ることになる。

私が娘を叱ったのは、三歳の頃の一回だけなのだが、それ以外にも彼女は、私がかもし出す独特の空気を読み取っていたのかもしれない。

不意にかもし出す、毒々しい空気を。


私にとっても、娘はかわいいばかりの存在だった。

しかし困ったことに、かわいいからこそ、私にとってかけがえのない存在だからこそ、どうしてもいじめたくなってしまった。

あえて壊そうとするかのように、試すかのように、娘をよくいじめた。

よく妻から「なぜ泣くまでいじめる!」と怒られた。


一人っ子で兄弟姉妹がいない分、私が兄貴代わりになってやっているんだと、とってつけた屁理屈をこねてはいた。

しかし実際には、私の中の歪んだ私が、あえて目の前の大切なものを壊してやろうとするのだった。

そうしてでも壊れないことを確認するかのように。

つまりは、歪んだ愛情表現だったのだ。


それでも私を嫌わなかった娘。

彼女には本当に感謝している。

(妻にも感謝している。結果として離婚せざるえなかったけど、彼女ほどこの稚拙で身勝手な男を、何の無理もなく受容してくれた人はいなかった。最後は完全に価値観の相違。私は生きることを選択したがために、彼女との離婚を決意した)



とはいえ、そうした歪んだ感情の表出は、その時に始まったものではない。

もっと以前からあった。

特に私が小学校高学年の頃、よくその歪みに身を焦がすような思いをした。

今に至るまで折に触れて感じ取れるその歪んだ感情のひな形は、その頃に作られたものなのだろう。