今日は病院スタッフによって、私の住環境の訪問調査が行われた。

私の立ち合いのもと、病院スタッフ二名が私の住居内外の環境を確認し、退院後生活の療養アドバイスを行うための、情報収集を行って帰ってきた。

スタッフによって住居内外の写真が撮影され、私は現地で具体的な説明をおこなった。


いただいた資料では、この調査、入院後に三回行われると書いてある。

一度目は入院から一週間経過した頃。

二度目は入院から二ヶ月経過した頃。

三度目は退院の一週間前。


私の入院期間は、まだ未定。

この調査も、具体的に何回行われるかも不明。

(たぶん今回の一回だけだと思う。だって特に問題になりそうな問題はないもん)

先ほど主治医の問診を受けたのだが、話の内容から、主治医もまだ退院時期を念頭には入れてない様子。

まだ私の状態は、療養期間も抜けてないと判断されていると思われる。

入院期間が一ヶ月を超える可能性が大きくなってきたので、自宅に戻れたこの機会を利用して、電気代の払込票やノート、筆記具などを病院に持ち帰った。

先日購入したノートとペンは、既に半分以上を消費してしまったのだ。



今回の入院では、持て余すであろう療養時間を少しでも紛らわすために、電気回路の分かりやすい(でもそれなりには難しい)解説書と、リサ・ランドール著の「ワープする宇宙」という余剰次元について書かれた理論物理学の本を持ち込んでいる。

やっとアインシュタインの特殊/一般相対性理論を、なんとか学び終えたところ。

この後、量子力学に入る。

(コイツが厄介なんだ)

まだ書籍の四分の一ぐらいなので、余剰次元理論にたどり着くまで、道のりは長い。

長いが、まったく飽きる気がしない。

学んでいて、とにかく楽しい。



理論物理学を、概論といえども学んでいて驚いたのは、物理学者の理論探求のアプローチ方法が、物理学に縁がなさそうな私たちにとっても、非常に示唆深いことだ。


例えば「ひも理論」と「モデル構築」。

物理学の門外漢にとっては、何のこっちゃという話なのだが、ここは一つ、我慢してお付き合いいただく。


「ひも理論」は、その詳しい内容はともかくとして、私たちのこの宇宙のありようはこうであろういう仮説の理論をまずたてる、というアプローチ方法をとっている。

たてた仮説の理論から、実際の物理現象を矛盾なく説明しようと試みる。

そうやって、シンプルかつエレガントにあらゆる物理現象を記述する、統一理論を求めようというアプローチだ。

考えうる理論はいくらでも出てくるが、これを証明するのは、まったく容易ではないという。

ひも理論で扱うスケールが微少すぎて、直接的に観察するのは不可能。

数学を駆使して、思弁的にアプローチするしかない。


それとは逆に、リサ・ランドール博士も採用している、モデル構築というアプローチ方法がある。

これは、実際に観測された結果を既知の理論で説明し、かつ、他の観測結果とも結びつけようと試みる。

そうした試みを積み重ねていった結果として、いつかは統一理論にたどり着こうというアプローチ方法だ。


言い替えれば、前者の「ひも理論」は山の頂からふもとのベースキャンプを目指そうとするようなもので、帰納法的なアプローチ。

西洋哲学で言えば、イデア論を説いたプラトン的アプローチ方法と言える。

(老いたアインシュタインともいう)


対して後者の「モデル構築」は、ふもとのベースキャンプから山の頂にのぞもうとするようなもので、演繹的なアプローチ。

同じく西洋哲学で言えば、実証主義的なアリストテレス的アプローチ方法と言える。

(若いアインシュタインともいう)


と、以上は付け焼き刃的な解説なので、ボロが出ないうちに止めておく。



そうした記述が理論物理学の本に出てきたので、ちょっとビックリしてしまった。

ちなみに著者は、演繹的なアプローチ方法であるモデル構築をベースにしながら、帰納法的なひも理論をそこにとりいれることで、余剰次元の理論にたどり着いたのだという。



話の内容も、目的もまったく違うが、知らずのうちに私も、この著者と同様なアプローチ方法をとっていたんだなと気づかされたので、驚いたのだ。

おまえは天下の物理学者様と比べて、何様のつもりだという話ではある。



私は「人は誰しもなにがしかの仕事をするために生まれてくる」という、たった六歳だか七歳の時のひらめきに、ずっと依ってたってきた。

そして今は、「人として生まれおちているというだけで超絶的に幸せなんだ」とか「誰しもがかけがえのない一人」という大前提も併せて掲げている。

これらの前提自体が、理論物理学のひも理論のような帰納法的アプローチのようなもので、私がのぞんでいる山の頂に当たるんだなと思えた。


と同時に、例えばこの度の男性の状況や、その結果として私が入院しているように、現実の問題と、私は絶えず格闘している。

理想論を振りまわしながら、飽くことなく現場で格闘し続けてきた。

格闘しながら、自分がたてた大前提が間違いがないことの確認を求め、そこにさらなる真実を求め続けた。

これって、理論物理学におけるモデル構築のような演繹的なアプローチであり、まさに現実というふもとから山の頂をのぞもうという姿勢そのものじゃないかと、私には思われたのだ。



長くなるので、明日に続く...