どうも心的疲労は、具体的な脳の疲労としても蓄積されていたようだ。


入院前のある程度前から、具体的な時期は思い出せないが、段々とものを見づらくなっていた。

例えばディスプレイに表示される動画とか、書籍・新聞上やスマホに表示される文字などがである。


私はそれらを、老眼の進行と思っていたのだが、どうもそれだけではなかったようだ。


入院後も見づらいことは変わらなかった。

そうなることは分かっていたので、メガネ状のルーペも持ってきていた。

しかし、これを使うと、かえって目が疲れてしかたがないのである。

外した後、しばらく目の焦点が合わず、ものを見られない。

なので、入院で持ち込んだものの、使わなくなってしまった。


ところがだ、昨日くらいから、そうした見づらさをあまり感じなくなってきた。

もちろん裸眼での話だ。

今日も、ずっと本を読み、ノートをとっていたのだが、ルーペが必要になるほどには困らなかった。

(それでも老眼であることには変わりはないが)

そして、入院当初には見分けることのできなかった、書籍中の細かいイラストの細部まで、チャンと見られるようになっているのが確認できた。


まだまだだとは思うが、疲労は確実に解消されつつあるようだ。



さて、話は突然変わるが。



私が男性と交流するにあたって、私がいつも心がけていたのは「承認」と「賞賛」。



この男性、なかなかの強情者で、典型的な我が道を行くタイプ。

私もそうなので、何となくそうしたくなる気持ちも分かるw

同時に、なかなかの博学で、なかなかのこだわりも持っている。

社会的に何かデカいことを成し遂げたってわけじゃないが、話を仔細にうかがうと、まぁ色んな事に挑戦してる。

終戦直後の混乱期には、人もうらやむほどの高収入を得ていた時期もあったようだ。

しかし、その後の挑戦は、決して経済的な潤いをもたらしてくれるものではなかったようだ。

お話を聞く限りでは、年齢を重ねるほどに経済的には先細りするかのような、そんな人生を辿られたらしい。


だからといって、そのような人生だったことに不満を持っているわけではなく、逆に、誇らしく思っている節がある。


男性は常に、独自の創意と工夫をこらした。

少々独善的な傾向はあるものの、常に、己の力で道を切り拓こうという姿勢を貫いた。

何かに頼る、とか、誰かを利用する、といった事とは、清々しいほど無縁な人生だったようだ。

(その独善さが身内との不仲や周囲との関係性の希薄さを助長していた節もある)



しかし、男性の周囲には、そんな男性の人生を積極的に評価する人は、最愛の奥さまを除いては皆無だったようだ。


その奥さまにしても、言葉にして男性の人生を讃えたりしているわけではない。

一人の女性として、92になる今でも、男性を頼もしく、また愛おしく思われているといった感じだ。

(現在は高齢者用介護福祉施設で生活されている)


その奥さまを除けば、近親者であればあるほど、なかなか根深く複雑な想いを、男性に対して抱いているらしい。

今回の状況にかかわるに際して、一番頻繁に連携を取ったのが息子さん夫婦なのだが、まぁ、さもありなんといった感じはあった。

私も、実父に対しては激しい怒りや複雑な感情を抱いていた時代が、本当に長かった。

そんな父親を、それでも文字通り懸命に支えたのは、彼の最晩年も最晩年、最後の9ヶ月くらいのものだ。

父親と息子の関係ってのは、一旦こじれると、なかなか難しいのだ。



また男性は、人の腹を読むといった事を嫌う、実直な方でもある。

当然、勝手に自分の腹を探られるような目に遭うことも嫌う。

だからであろう、何でも腹蔵なく、おもしろおかしく自身のことも語る。

会話の端々に、ウィットとユーモアを忍ばせようという、なかなか心憎い話術にも長けている。



しかし、友達は少ない。

(私もだ)

知り合い程度ならたくさんいらっしゃった様子だが、心許せる人間関係となると、皆無だったようだ。

(その知り合いも90近くにもなると殆どが亡くなっている)

私も、本当に心許せる相手となると本当に少数なので、さもありなんという気がする。



そんな男性の話には、私にとっても懐かしさを感じる、昔、両親から聞いたことのあるような内容もある。

また、私がまだ幼かった頃に見聞した風景が重なって見えることもあった。

そうした自分の中の記憶や風景を総動員して、男性が語る来し方を、私の心の中で再現していた。



男性の来し方を全く知らない私を相手に話すことなので、結果的に、ご自分に都合の良い話題しか出ていなかったかもしれない。

誰にも明かせない、なかなかな経験も、たくさんされているに違いない。



であってでもある。



男性の人生は、波乱に満ちてはいるが、なかなかこれだけの人生をおくり、この年齢になるまで元気でいられる人って、なかなかいらっしゃるものではないと、私には思えた。

だって考えてもみてほしい。

いかに金があっても、買うべき食い物がなかった時代に幼少期を、そして戦後、未曾有の混乱期に青春時代を送り、その後の高度経済成長、バブル景気に崩壊、長らく不景気の続く低成長時代から超高齢化社会までを、一気に生き抜いてこられた方だ。

価値観が一夜にして塗り替えられた現場を、目の当たりにしてこられた方でもある。

日本史にあって、最も激動を極めた時代を生きた時代の証人だ。

そりゃ独善的な生き方にもなろうというものである。

誰に頼ることなく、誰を利用することもなく、学べることは学び、身につけられる技術はつけられるだけ身につけ、独力で波瀾万丈の時代を生き抜いてこられて人だ。

こんな人の話が、面白くないわけがない。


私は全力で男性の話をうかがい、全力で自分の中の想像力を沸き立たせ、全力で共感点を探った。

そうやって感じとっと共感点にもとづいて、今度は全力で男性の人生を讃える。


私が男性のもとを訪れ、行っていたことは、ほぼこれに尽きる。



要は、人生の最晩年を迎えた男性に、来し方に悔いを残して欲しくなかったのだ。

悔いさえなければ、他のことはどうあれ、その人生は十分に幸せであり、そのような人生は賞賛に値すると私は思う。

なので、男性の人生は、赤の他人の私から見ても、十分に立派な人生ですよと、私なりの保証を与えたかった。

人生という手形に、裏書きをするようなものだろうか。

ま、私のような者の裏書で大丈夫なのか?という話ではある。



それでも男性は、たいそう喜んで下さった。

状況の終盤では、認知力も下がってこられていたようで、同じ話を二度三度とされることが多くなっていた。

その都度、初めて聞いたかのように振る舞い、賛辞を送る。

そんなことを繰り返した。

途中、いろいろありはしたが、そうやって自分の人生を誇らしく語る時の姿ほど、男性の姿が活き活きして見えたことはない。



そうしたやりとりを繰り返していて、私は思った。

人が、その人生において、無条件に自分の存在が承認され、賞賛をもって遇されることが、どれ程あるだろうかと。



私の場合を言えば、記憶がある限りでは、幼い時は「皆無」だった。

(叔母たちの話を聞くと、私は赤ん坊の頃、それはもう大切に扱われていたそうである。ただし両親の手によってではなく、親戚の叔母やその姑によって。もちろん私の記憶には残っていない。確かにその叔母が私を見つめる目は、昔から、何か深いものを湛えていた。不思議に思っていたのだが、その話を聞いて、なるほどと合点がいった)

長じるに従って、一面的な評価を受けることは多くなった。

しかし、全人格的な評価がいただけることは、今もって稀だ。

ま、私ごときが、という話ですw



男性と話していると、男性が本当に求めているのは、そうした全人格的な無条件肯定のように思えた。

90年近く生きてきた私の人生を見て、さぁ、どうだ?という話だ。



人間のやることなので、無謬などということはあり得ない。

それにしてもだ、背景の時代性などを考えあわせると、なかなかあっぱれな人生だと思う。

そしてご自身も、そんな自覚もお持ちなのだったのだろう。

そこにもってきて、私なんぞがノコノコやって来て、男性の話に大笑いしては手を叩き、賞賛の言葉をあげる。

私みたいな若僧に、そのような大役を求めていただけるとは、私の方こそ恐縮ものだ。