今日辺りは、ずいぶん気持ち良く寝られた。
相変わらず入眠するまでに時間はかかるが。
加えて、夜半に必ず目が覚める。
今は睡眠を最優先にしたいので、途中で目が覚めたら、午前三時までに服用すること限定で処方されている頓服薬のセロクエル錠を飲んで、また寝る。
今日はノートに書きつける文字も、わりとスムーズに書けてきている。
まだまだ無駄な力が入っているが、地道に継続して、チャンと文字を書けるようになりたい。
男性から「あんたに全部任せる」と言われ、関係者からは「あんたに全部任せるしかない」と言われ続けた。
そう言われる度に、私の中では「やっぱりか」という確信だけが強まっていった。
諦めとか悲嘆などというものは、微塵もなかった。
きれいさっぱり。
それは確かだ。
こう書くと、「それこそが共依存じゃないか」と言われそうだが、私の中の認識は全く違う。
先のエントリーでも触れたが、事は二年前、退院後に悲嘆に暮れていた私が、何とか起ち上がろうと、泣きながら足掻き始めた時から始まっている。
あれから、諦めずに、時に弱音を吐きそうになる自分を奮い立たせ、勇気をかき集めながら続けてきた挑戦の延長線上で起こった事だと、私は捉えていたからだ。
多くの拙さを残す挑戦の連続だったが、その結果は、私の周囲に、確かに現れていた。
その現実が、さらに自分を奮い立たせることに繋がり、さらに勇気を奮って、大胆な挑戦に打って出る。
そんな連続の二年間だったと思う。
そんな中で起こった、今回の状況だ。
私はそれを、「共依存」の一言でかたづけたくはない。
あらゆる事象は、決して偶然に起こるものではなく、何らかの必然性のもとに起こる。
すべては連環のなせるわざ。
今の、そしてこれからの私に必要だからこそ、必然的に巻き込まれた状況だったのだと、私は一貫して理解していた。
私は、自分の祖母や義母、そして実父の最期を看取る経験や、周囲で見聞きしてきた最期の姿を通して、経験的に、人間の幸不幸は、その人生の最終章のあり方で決まるのではないかと、強く思い始めている。
人生の途中でどれだけ財を成そうが、名声を打ち立てようが、死に直面したときには全く意味を成さない事実を、それなりには見てきた。
特に義母と実父の臨終の姿や、最期に臨む過程で見せつけられた姿から、衝撃的に多くのものを学んだと思っている。
しかしそれらは、私の近親者だったからなし得た、経験し得たことだとも言える。
これが、血も繋がっていない他人様でも、同じような結果をもたらせるのだろうか?
もちろん、できるに違いないという確信があって事に臨んだ。
近いことは、既に幾度か経験もしている。
そして、この状況に対応する中で、急速に進行中の高齢化社会時代を生きるにあたっての一つのスタンダードを、社会に対して示せはしないかなどと、なかなか大上段に構えたテーマも私は掲げてもいた。
ここで日本がまさに迎えている高齢化社会に対して、私たち日本がどれだけ無策なままであるかを、一々あげつらいはしない。
思うところは多々あるし、あり過ぎるけれども。
一つだけあげると、これは問題点ではないが、今、今後の避けがたい高齢化問題を考える観点から、世界中が日本に注目していることだろうか。
日本は世界一の高齢化先進国だ。
そしてその高齢化の波は、今後半世紀以上にわたって、多くの国を襲う大波でもある。
バブル経済の問題を、多くの国が日本の事例に学んだように、高齢化問題もまた日本が結果的に情報発信していくことになる。
今、高齢化問題に真摯に、誠実に対応することは、もしかすると国際的な貢献に繋がるかもしれない。
ずいぶんと大げさに書いたが、私一人がやることなので、ささやかと言うのも気が引けるほどにささやか過ぎはするが。
頭に書いた「あんたに任せるしかない」と言われる度に、私は感じていた。
殆どの人が、社会全体が、襲いくる高齢化問題の波をどう乗り越えるべきなのか、どう捉えるべきなのか、全くノーアイデアなんだなと。
何の準備も心構えもないんだなと。
だから今回の状況は、私と男性という個人間のものではあったのだけども、同時に、上に書いたような社会性も包含する、なかなかディープな事例になるぞと、私は考えていた。
そしてそうしたことは、私の今後の人生のあり方をも示唆するものになりはしないか。
多分に私らしい誇大妄想的な大風呂敷発想ではあるが、個人的にも、社会を広く見ても、これは私の全力を投入するべき状況だと思えてならなかった。
(それこそが共依存的発想だと笑うなら笑え)