毎日、猛勉強している。


今回の入院に際して、容態が落ち着いてきたら読もうと思って、本を二冊、持ち込んでいる。

一冊は余剰次元について解説された、大学では教科書にも使われているという理論物理学の本。

結構分厚い。

過去に二度チャレンジしたが、二度とも途中で読み進められなくなった。

もう一冊は、オーディオの電気回路に限定して書かれた電気の本。

これも、過去に挫折した一冊。


これらを、数日前から本格的に読み込んでいる。

先日、一時外出したのだが、その際にペンとノートも買ってきた。

読み進めては、復習のつもりでノートに要点を書き出して、頭の中を整理している。


理論物理学の本は、いわば概論的な入門書なのだが、まぁそれでも難解だ!

そんな本を読んで、かえって疲れはしないかと思われそうだが、さにあらず。

気分転換になる。

良い意味で頭が疲労して、睡眠に良い影響があるのではと思っている。


さらにこれには、重要なポイントがある。

ノートに書き出す作業だ。


少し前まで、私は自分の名前や住所を書くことさえ、非常に難儀していた。

どうやっても、途中からミミズがのたくったような文字になるのだ。

書きながら、もう泣きたい気分になる。


今は少しマシにはなったが、やはり何かの拍子にミミズ文字。


今も泣きたくなる状態になりがちなのだが、どうしたら気持ち良く文字が書けるか、あれこれ試行錯誤しながら文字を書いている。

まぁあれだ、一種の作業療法だね。



前置きが長くなったが、さて、前回からの続きだ。



つまりは、この状況にかかわることは、私にとっても好機なりえると判断したわけだ。


だからといって、むやみやたらにかかわったわけじゃない。

何事につけ、結構な無鉄砲さを見せる私だが、さすがに56にもなるし、学習したのだろう。

男性の状況に係わるに際して、私はあらゆる関係者・機関と連携をとっている。

万全を期すために。

相手は、男性の息子さん夫婦はもとより、男性の妹さん、地元民生委員、地域のネットワーク、ケアマネ、市役所の関係部署などだ。


その際、福祉関係や役所は別として、男性の身内や男性に近しい人たちから異口同音に発せられたのは「これはもうあなたに任せるしかない」という言葉だった。

必要と思われる人たちと情報を共有すればするほど、私はこの言葉と出くわすことになった。


私も、関わるだけ関わっておいて、途中で投げ出すような中途半端なことは、絶対にしたくはなかった。

そもそも、そんなマネができる性格でもない。

そして「これは私が頑張らにゃならんなぁ」との思いを、関係者と連絡を取り合うほどに、強くせざる得なかった。



ある時は「私だけが頑張ってるだけじゃダメだ。他の人にも関わってもらおう」と、まだ男性が骨折で入院している時だったが、一人の男性に、病院に同道してもらったこともある。

立場的にそうすべき方でもあったし、それができる余裕もあるようにも見えたので、そうしたのだが、結局、関わってくることはなかった。

残念だが、当人が決めることなので、私としてはどうしようもない。


私一人が動いているだけなら、それは点の動きでしかない。

それでもいいんだろうが、私一人の出来事で終わらせてしまっては、何の波及性もない、ただの個人的な経験で終わってしまうじゃないか。

それではあまりにもったいない。

なので、私の動きに一人を加え、線の動きにし、さらには平面的な動きへの道筋をつけたかったのだが。

なかなか物事は、思惑通りにはいかないものである。



つまり、何を言いたいかというと、今回の状況は、私が恣意的に独占するかのように関わったわけではないということだ。

私は、一人でも多くの人を巻き込み、多面的な状況にしたかったのだ。

私が、まるで沼にはまるように、面白いぐらいズブズブとはまっていったことは事実だが、そのはまりいく過程で、私は絶えず周囲に情報を発信し続けていたのも事実だ。

私は克明に、懸命に情報を発信し続けた。


確かに男性は、時の経過と共に、心身共に、私に大きく深く依存してきた。

特に精神面の依存にあっては、身内に対するそれをも凌駕する点が多々あったように思う。

しかし、男性の関係者もまた、状況を知れば知るほど、私に全てを依存してきたのだ。

自ら好んでこの状況に関わっておきながら、こんなことを言うのは不遜なのだが、私は全方位から依存されてきたとも言える。

(この表現のまま主治医にも語った)

連携を取れば取るほどに、そんな事実に打ちのめされる思いが、私の中にはあった。

関係者からの思いは「期待」と言うべきモノだろうが、実情は完全に「依存」。

もっと直截な物言いをすれば、私一人に丸投げしてきた、ということである。



私は、それを不服に思っているわけではない。

当人からも周囲からも、期待され、頼られるのは、光栄なことだ。

それはそのまま、私という人間への評価の裏返しなのだから。

(という形の「利用」ともとれるけど、ま、そんなこと、私にはどうでも良い)

そうではなくて、そうした周辺状況もひっくるめて、私と男性の関係が「共依存」と言われる事が、更にはまた私が、悪しき性癖にでも耽っているかのように捉えられる事が、甚だ心外ではある。



そのような状況にかてて加えて、「あのように一人にだけ特別に関わるような行為はオカシイ」と地域で非難の声が一部からあがっていた事実を知ったときは、腰が抜けるほど驚いたが。

(その後の顛末には呆れかえったが)



心外であれなんであれ、私が心身共に、特に精神面で疲弊しきってしまったのは事実だ。

そしてこれは、今後の私に残された人生を考えると、由々しき問題でもある。

なぜなら、今後も同じような状況に遭遇すれば、私は間違いなく、今回と同じように行動するだろうから。


既に、何らかのケアが必要な健康面のほころびを感じる年代に入った。

今後、少しずつ、しかし確実に、私も肉体的には高齢者になっていく。

(心まで衰えさせるつもりは毛頭ない。髪の毛も心もとないが、心は生涯青春を貫きたい。あ、笑うところですw

今回は「ここまで」頑張れることができたが、次回以降も同じようにできる可能性は、今後は低くなっていくだろう。


そうした年代の入口にある私が、何故にこの度のような経験をせねばならなかったのか?

私はここから、何を学びとるべきなのか?

何をもって、未来の資糧とすべきなのか?



今回の状況の中で、私は、常にこのテーマと、真正面から向き合っていた。