入院してから始めた、この一連のエントリーで、私が入院に至るまでの経緯を自分なりに振り返っている。

振り返りつつ、何をここから学び取るべきか、再確認を行っている。

主治医からは、入院中に、なぜ今回のような顛末になったのか、自分なりによく考えてください、とも言われている。

主治医に言われたとおりにしているんだが、いささかやり過ぎかもしれないw


昨日の診察では、さっそくこのブログで綴った内容をベースに、一連の経緯に私なりの考察を加えて、少しお話しした。

その際に、文章にしながら振り返ってますとも伝えてある。


診察後、私の胸は痛くなっていた。

痛くはなったが、重苦しくはならなかった。

少し休んだだけで、その症状はすぐに治まった。

自分のやらかしたことを、主治医に語るだけで、私には結構なストレスになったようだ。

と同時に、それは溜まりに溜めたストレスを吐き出す行為にもなったのだろう。

カウンセリングってやつかな。

口にできたことで、私はかなり楽になれた実感がある。



さて、前回の続きなんだが...



私が男性に対してとった行動は、一般的には人道的と捉えられるものだろうか。

しかし、私の中の認識は、全く違う。



話に伏線があるのだが、そこから語り始めると本当にとりとめも無い内容になるので、サクッと省く。

それでも一つだけは、挙げておかなければならない。

それは、今回の状況は、すべて二年前から始めた挑戦の延長線上に起ったことだと、私は捉えている、ということだ。

二年前からというのは、自殺まがいの絶食生活のあげく、救急車で、今入っているこの病院に運ばれて始まった入院生活が、明けてからの期間だ。

あの時の私は、本当に惨めで、弱々しく、情けないばかりだった。

そのどん底から、なんとか立ち直りたいと、一条の光にすがる思いで、泣きながら始めた挑戦だった。



そもそも、男性との最初の出会いは、一年以上前の冬のことで、それ以来、会っていなかった。

それが、昨年の915日に再訪問し、そこで私の携帯電話番号を訊ねられたのが、今回の状況を引き寄せる大きなきっかけとなっている。

その時、最初の出会いの時と違い、ずいぶんと私に胸襟を開いてくださる姿勢に、不思議な思いがしたのを覚えている。

なにせ私は、男性の息子さんからさらに二歳若い、男性から見れば自分の子ども世代で、ただのひよっこなのだから。

対して男性は、戸籍上は昭和五年、実際は三年の生まれで、太平洋戦争敗戦間際には米軍の艦上戦闘機ヘルキャットから機銃掃射を浴びた経験も持つような方だ。

戦後の混乱期に、青春時代をおくってもいる。

そんな男性からすれば、私なんぞは、戦後の高度経済成長に育ったモヤシのようなガキでしかないハズだ。



その男性が、917日の夜、つまり私が訪問した翌々日だが、自転車で市街地を移動中に、イノシシに自転車ごと突き飛ばされて、左鎖骨を複雑骨折した。

そして翌早朝、お教えしたばかりの私の携帯電話に、痛みで動けないと救助を請う連絡をいただいたことで、状況は大きく私を巻き込むことになった。



こういう緊急時の対処方法は、若い頃からの訓練で体に叩き込まれているので、何の躊躇もなく必要な確認や手はずをテキパキと整え、男性は救急搬送されることになった。

必要な書類、服薬している薬も一式携えて、私もちゃっかり救急車に同乗しちゃってる。

それができるぐらい、私は男性の生活実態を把握していた。


で、病院に入れちゃったんだから、私はここで手を引いてもよかった。

よかったハズなんだけど、そのままズッポリ係わり続けることにした。


男性の周囲を見回したとき、私以外に、男性を託すに足る人とか組織、システムがなかったからだ。

さらに、色々な事を勘案して、この状況は私にとっても、とても大切な勝負どころになると思えたからでもある。

そして何より重要なのは、男性は数ある連絡先の中から、よりにもよって、私に、救援を求めてきたという事実だ。

私にとっては、その事実だけで、行動を起こすに足る動機になった。

そこに男性の意思や、この状況が内包する意義があると、私は理解したからだ。



確かに人道的にみても、決して放置できる状況ではなかった。

しかし、それだけの理由なら、私一人でここまで頑張る動機にはならなかったと思う。

なぜなら、男性のおかれた状況は、誰から見ても人道的に放置できないものだったのだから。

それだけの理由だったら、別に私だけが頑張る必要はなかったはずだ。

他の誰かがやってもよかったし、近隣住民で協力して行ってもよかっただろう。



以上は、私の思い込みだけなのかもしれない。

また人も、そう捉えるかもしれない。



私は、人生の大切な岐路に立つときは、必ず自分の直感、それまでの人生で培ってきた洞察力に従ってきた。

世間一般的なジョーシキを無視してでも、そうしてきた。

その結果、惨憺たる状況に見舞われたとしても、それは決して失敗ではない。

実際に、いつも惨憺たる思いをするんだが、それを失敗だと思ったことは、ただの一度もない。

ただの一瞬だって、そんな風に思ったことはない。


誰かから指図されたからとか、世間的なジョーシキにとらわれた結果として苦しい思いをするなら、そこには愚痴も出てこよう。

責任転嫁のための屁理屈の一つでもこねたくなるのが人情だと思う。

そんな顛末こそ、私にとっては、大失敗だ。


そして、私は思う。


誰にとっても、人生は一度きりなんだ。

言い替えれば、人として生きるチャンスを、たった一度きりしか与えられてないとも言える。

そんな大切な人生で、寄り道なんかをしているひまなんてない。

他人の無責任な言動や、過去を顧みることもなく未来を展望することもないジョーシキとやらに、一々かまけていられるほど、私は暇人ではない。

まっすぐに、ただただまっすぐに、自分だから生きられる人生を謳歌したいと、私は願っている。

そう思って生きてきたら、もう56だ。

もう本当に時間がない。


だからこそ直感力を研ぎ澄まし、さらに洞察力を深めるためにも、敢えて自分の可能性を信じ抜く。

信じるままに、地獄の底にだって足を踏み入れる。

それが、人生をまっすぐに生き抜く、最上の方法論だと、私は信じている。



だからこそ私は、男性の状況に深くコミットした。

私は、この状況から何かを学ばなければならないと思ったし、社会性や時代性を考えても、とても時機にかなった経験になると確信したからでもある。