今日は午前中に診察があった。

入院時の採血の検査結果も見せてもらった。

血中コレステロール値がオーバーしてるのはいつものことなんだが、糖尿病の指標になる値が正常範囲の上限値に達していたのが大変にショック!

両親の兄弟に(叔父や叔母に)立派な糖尿病患者もいる。

私は既に、かなりハイレベルな糖尿病予備軍の一員らしい。

年齢も年齢だからかなぁ...

私の余命は、病とのお付き合いが欠かせない、前途多難なものなのかもしれないね。


さて、前回の続きだが、男性の容態は、大方の予想に反して、奇跡的に持ち直した。

退院時には、まだ自宅生活は無理だろうと思われる状態だったのだが、それも、徐々にだが、快方に向かうことになる。


さすがに自転車や徒歩での長距離(とは言ってもたかだか200メートル位だが)は不可能になってはいた。

ケアマネの手配で、シルバーカーがすぐに届けられた。

玄関の上がり框にも、ステップと手摺りが据え付けられた。

これで自力での買い物(自宅から1キロ圏内で生活物資は全て揃う)や、自宅内での移動が可能になった。

(買い物中は店舗備え付けのカートが歩行補助機になり、ゆっくりではあるが、店内であれば自由に動けた)

加えて、4月末にもなり、陽気が安定していたことも奏功したのかも知れない。

顔色が、退院時よりも段々と良くなっていったのだ。

以前は日常的に感じ取れていた不整脈も、なくなったという。

もう、驚きのスーパーじーちゃんである。

(ただし認知力は確実に落ちていった。認知力の低下は、深刻には自覚できないんだよねぇ)

(ちなみに、現在の様子は一切知らない。私の療養に差し障るかもしれないからと、一切の情報を入れないよう、周囲にもお願いしてある)



そうは言っても、今年87になった高齢者だ。

二回の入院で、足もスッカリ弱ってしまっていたしね。

加えて、先の入院で胃ガンとおぼしき腫瘍が発見されていた。

その詳しい検査のために、地元の拠点病院を受診することになっていた。


結局、ゴールデンウィークを挟んだ事もあり、最終的な診断をいただくまで一ヶ月を要した。


その間、男性の生活を支えるために、毎日、私は男性宅を訪問する。

検査や外来受診がある時は、二回、訪問したことになる。


結局、たちは悪いが治療は可能な胃ガンと判明するのだが、肝臓にも影が見えるからと言う理由で、検査が追加され、治療方針の決定が一週間、先延ばしされた。

その先延ばしされた一週間で、胃ガンと知らされた男性は、口から出てくる強気な言葉とは裏腹に、激しい精神的動揺を見せる。

男性宅を訪れる度に、日めくりカレンダーのように、男性の言うことや表情がコロコロと変わるのだ。

人の体験談や、過去に聞きかじったテレビの情報などに自分を重ね合わせ、その度に、現実に則さない、突拍子もない方向に考えが飛ぶ。


男性は、自身が罹患した胃ガンについて、医師から聞かされた詳しい説明を、殆ど覚えてなかった。

驚愕と混乱からだろうか、認知力の低下からだろうか、その両方からだろうか。

私が医師の説明を録音し、内容を文字に起こしてまとめ上げ、細部に至るまで承知していたので、医師の説明を噛んで含めるようにして何度も説明しなければならなかった。

その上で、男性の動揺を抑えるために、時に厳しく、時に優しく、手を替え品を替え、時間をかけてジックリと男性が本来持つ力強い自主性を引っ張り出す努力を重ねた。


これが、どれほど大変な作業だったか。


自分で自分のことを吹聴するようで恐縮なのだが、誇張でもなんでもなく、身心をかんなで削るような作業だった。

特に、胃ガンを告知されて戻った夕方の訪問では、男性の動揺っぶりに、普段の私になく感情的になってしまい、かなり上から目線で男性の鼻っ柱をへし折るような話をしてしまった。

その時の私の疲弊っぷりときたら。

本当に言葉にならない。



私にとっては、心身共に、とっくに限界を超えたところでの動きだったので、自分の部屋に戻ると、しばし動けなくなることが多かった。

この一週間は、本当にキツかった。

食欲もなくなった。

食事の準備など、したくもない。

毎日三食を、同じメニューにすることで手間を省き、半ば自動的に、胃袋に流し込んだ。

この時には、食事は楽しみではなく、命を繫ぐための義務的な作業でしかなくなっていた。

毎日、入院加療を考えていた。



そこまで自分を追い込んだ上での、あの「さらに一ヶ月、治療するかしないか考えたい」という男性の決断であったので、その言葉を耳にした瞬間に、私の中で何かがはじけたと言うのが、正直なところだ。

幸い、男性の体調も安定していた。

事の成り行きを全部知ってくださっている方から第三者的意見も伺った上で、私は自分の入院を決意した。

入院加療の必要を自覚していたが、それは第三者の目にも明らかに見て取れていたようだ。