私の心的疲労は、心的自己治癒力まで浸食してしまっている。

その自覚はあった。

これは大層ヤバいと思っていた。


しかし同時に、私にとっては、倒れることは、あんまり問題ではなかった。

私自身にとってそれは、少しも重要なことではなかったのだ。


それよりも恐れるべきは、私が倒れることで、一緒になって倒れてしまう存在があることだった。

だから、限界を超えてでも、倒れることを全力で拒んだ。

一日の大半を「休む」ことに当ててでも。

そうやって、乾き切った雑巾から更に一滴の水を絞り出すようにして、毎日をおくった。

絞り出した水は、男性に惜しみなく注いだ。


そうした行為の当然の帰結としての入院なので、私の中に悔いは無い。

主治医があまりに渋い顔をするのだが、そこは本当に申し訳ないと思っている。

主治医とは、7年を超える付き合いだ。

過去に幾度か、本当に命を落としかけた事を知っているし、自死を消極的に選択し、実行したことも知っている。

物事を「これは私の問題」と見定めたら、本当に死をも厭わず行動する人間だということを、過去の事実から知っている、数少ない私の理解者なのだから。



今回の事例で言えば、317日が一つの限界点だった。

状況全体の分水嶺とも言える日になった。

男性が自宅近所のコンビニで意識を失い、病院に救急搬送された日なのだが、あの時は私も倒れていてもおかしくなかった。

それほど心身両面で疲労は極限を超えていたのだが、目の前で男性に倒れられては、私までもが倒れるわけにはいかないではないか。

あの日は、何の比喩でもなく、決死の覚悟で私は動いていた。



男性は病院に入ったのだから、あそこで私は手を引こうと思えば、引けた。

事実、瞬間的に、他の人に託そうか、とも考えた。

あの瞬間が、今回の状況の分水嶺になったのだと思う。



肉体的にへたりきった状態にあった男性の視界から、私の姿が消えることは、男性から心理的支えを奪うことになるかも知れない。

そんな状況になるかも知れないと分かっていて、手などを引けるわけがない。



今から思えばだが、大切な局面に当たっても、まだ自分のことを棚に上げて、そのように考えていた。


(実のところは、男性と以前から親交のあるご家族があるので、そこに託そうかとも考え、話もしていた。諸事情であきらめた)


同時に、男性の余命は、この入院で尽きるのではないかとも感じていた。

それほど危機的な状態であったし、その時を迎えるのは、さほど先のことではないだろうとも感じていた。

ならば、最初に公言していたとおり、男性の最期に立ち会わせていただこう。

私の存在が、男性の安心に繋がるならば、それは私にも、男性にも、本望とするところだろうと考えていた。



しかし、話は4月、また5月に入って、二転三転する。

その度に状況は、さらに抜き差しならないものになっていった。