背筋の激痛はなくなった。

相変わらずコリや痛みはあるが、激痛でうめき声をあげるということはなくなった。

睡眠の質も、良くなっている傾向と思われる。

 

 

 

午前中に半分覚醒するが、無理矢理寝る。

頭の芯に、相変わらず重いものを感じるから。

今日は午後2時頃の起床になった。

それでも夜も9時を回るぐらいには、目がしぶい。

頭が睡眠を欲するようになる。

 

 

 

 

どこかのタイミングで、しっかり、徹底的に疲れを抜きたい。

そのために入院したい。

とは思っているのだが、期待した通りにならないのが、今までの私なのだ。

 

 

 

 

それでも、この5月か6月のどこかの時点で、現在の状況は大きな転機を迎えるだろうとは感じている。

それは年明け頃から、ずっと感じてきたこと。

期待とかではなく、無根拠な確信めいたものだ。

 

 

 

 

先日、5月15日の外来付き添いで、私は一定の仕事をやり終えたと感じている。

ここから先は、オマケみたいなステージだと思っている。

 

 

 

 

今までは我慢に我慢を重ね、徹底的に男性の想いに寄り添うことを旨としてきたが、その方針を転換。

意図して転換させた訳ではない。

気がついたら、そうしている自分がいる。

 

 

 

 

 

なるべく自分を客観的に捉え、理知的に行動しようと考え、生きてきた男性だ。

しかし、一人の努力で勝ち得たもの差しで自分を計れるほど、人間は単純にできていない。

そうした考え方、生き方は、ともすれば偏屈な人間を生みやすいのだろう。

男性が、その典型例だ。

 

 

 

 

そのように物事を捉えたい動機は、よく理解できる。

生まれてこの方、生きてきた時代背景や個別具体的な事情を斟酌すれば、それは当然だろうと思う。

そして、現代にあって、その男性を理解できる人、理解しようという人が皆無であろうことも、よく分かる。

だから私は、言うべきことは山のようにあるけども、それらを全て腹にしまい込み、敢えて男性の言い分に、そのありように、全面的に寄り添ってきた。

 

 

 

 

そうした関係の在り方が、主治医をして「共依存だ」と言わしめるものだったんじゃないかと、私は捉えている。

 

 

 

 

5月15日を境に、そうした事情が私の中で、大きく変わってしまった。

 

 

 

 

身勝手な解釈、ワガママな考えには、もう付き合わない。

どうでもいいことは、本当にドウデモイイので、真剣な面持ちで聞き流す。

しかし、コレはと思う点があれば、断固として「それは違う」と言い返す。

そして、理路整然と、徹底的に、コッテンパンにやり込める。

そうやって、状況へのより深い理解と同意を引き出す。

その時の私には、笑みがない。

真剣勝負で向き合う。

 

 

 

 

そうしたことが影響してか、それ以降は、男性宅を訪れて、疲れ果てるということがなくなった。

それでも実は疲れていて、部屋に戻って小一時間は横になるんだが、それでも疲れ果ててはいない。

 

 

 

 

 

 

左肩の傷口が、少し広がっているようだ。

体液の漏出量も増えている。

傷口はキレイなので、差し迫った問題ではないが、この状態が続くのは良くない。

胃ガンや肝臓の影に怯えている間に、肩の傷でやられたなんて、シャレにならない。