今日は男性の用事を済ませるために、朝の8時に起床です。

9時半に迎えに行く約束だったのですが、まぁ辛いw

自分のためだったら、絶対に起きてないですね。

起きられないです。

 

 

 

 

11時過ぎには男性宅に戻れました。

部屋に戻って、私も買い物を済ませ、軽く腹に食事を入れて、横になる。

頭がスッキリしたのは、午後も4時前のことです。

 

 

 

 

男性は、昨年9月某日夜、自転車で移動中に猪にぶつけられまして、左鎖骨を複雑骨折する重症を負いました。

そのために1ヶ月半の入院を強いられたのですが、私が頻繁に男性とかかわるようになったのは、この事故からです。

 

 

 

 

手術は無事に終わっていて、骨折自体は問題ありません。

しかし、手術そのものに問題があった可能性があります。

男性の左肩には、肩関節を形成する骨頭によって、盛り上がりが生じてしまいました。

つまり、関節が元の形に戻ってないようなのです。

 

 

 

 

高齢になってからの関節手術ですし、大胸筋を支える腱にも近い場所を切っている訳ですから、肩関節が元の形におさまらないのも、仕方がないとも言えるのかも。

関節の機能に支障はきたしていないようなので、そこはイイ。

 

 

 

 

問題は、骨頭部分が飛び出すような形になって、皮膚の一部が擦れて、破れてしまっている事です。

 

 

 

数日前から、下着の左肩部分が、膿で汚れるようになりました。

傷はとても小さく、消毒の上でカットバンを貼り、さらにその上から厚めにたたんだガーゼを当てて、絆創膏で固定。

これ以上、傷口が広がらないようにするためです。

 

 

 

 

昨日は、一旦、膿が出てくるのはおさまったのですが、今日になってまた体液が出てきているようです。

今朝の外出では、この傷口に対処するために、大きめのカットバンや消毒液なども買ってきました。

 

 

 

 

本来なら、外科手術を施してくれた病院に連絡を入れて、外来を受診すべきところ。

しかし、今はゴールデンウィークです。

そして来週は、検査と通院で、3度も病院に出向かねばなりません。

(その間に私の外来受診もありますし)

あと2週間ぐらい、具体的な手を打てない(打ったとしても、たぶん今とあまり変わらない処置だと思いますが)。

 

 

 

 

ここ数日は、比較的体調は落ち着いているようです。

それでも、体の抵抗力が落ちているのは間違いありませんから、外傷から菌が入って悪さをしないとも限りません。

そもそも、皮膚に傷口ができたのは、関節を被っていた部分が痩せてしまったのも一因です。

たかが傷と軽くはみられないなと、気をつけています。

 

 

 

 

肩の傷の処置ですから、自分ではできません。

私が訪問の度に、カットバンを取り替えています。

 

 

 

 

 

正直なところ、私もキツイです。

叶うなら、入院して、誰ともかかわらず、静養に専念する期間を設けたいところです。

主治医からも「任意入院は可能」と言われていますし。

ですが、今は叶いません。

男性当人からだけではなく、周囲からも「アンタがおらんといけん」と言われています。

ココは一歩たりとも、後ろに引くわけにはまいりません。

現場から離れるわけにはいきません。

 

 

 

 

 

一人の人間が秘める可能性、潜在力について、思いをめぐらしてみました。

 

 

 

 

 

一個の人間に秘められている可能性は、無限大です。

何だかんだ言っても、これだけは間違いありません。

何とでも言いようがあるのですが、その理由、理屈を言い始めたらキリがなくなるので、間違いがないとだけ書いておきます。

 

 

 

 

それはもの凄く自明で、明瞭で、普遍的な事なのですが、それがどうしても信じられない。

そうなんだろうな。

そうであって欲しいな。

そう思いはするけど、それじゃ心の底から信じられるのかと言うと、それはまた別次元の問題であるようです。

人間性への不信です。

人間の奥底には、そうした根深い問題が居座っています。

それが、不条理の根幹なのかも知れません。

 

 

 

 

 

私という人間は、そうした根深い問題と、ガップリ四つに組んで格闘してきたのだと思います。

特に、ここ数年は、今までになく苛烈に。

 

 

 

 

誰にも、無限の可能性がある。

これは明瞭な真実です。

しかし、真実のままに生きるのは、本当に困難です。

知れば知るほどに、困難極まりない大事業だなと、思わされます。

そんな大事業に当たれるような人間で、私があるわけがない。

 

 

 

 

生来、傲岸不遜で、高慢ちきで、モノを知ったような目で人を見下す悪いクセがある私です。

それらは、根深い臆病さの裏返しです。

私にとっての不条理、そのものです。

私が格闘してきたのは、私の中の臆病なのです。

形の上では、目の前の一人のために何かしてるぅ〜みたいになっていますが、本質的には、常に内面の臆病との闘いでした。

 

 

 

 

そして、人生を決せざる得ない年齢になってもまだ「私であるわけがない」などと、臆病風を吹かせている。

何と言うことでしょう!

もう私の人生には、後ろがないと言うのに。

なので、ここはもうスッパリと諦めて、「それは私なのだ」と決めて、徹底的に傲慢になってやろうとしています。

 

 

 

 

 

男性は、そして私を取り巻く環境は、そのための大チャンスを与えてくれています。

だからこそ、私は一歩たりとも引くわけにはまいりません。

大げさかも知れませんが、たとえそれが私の命を損ずる事になるのだとしても、そうすることが、私が表現したい「何か」を表現することになるのだろうと思っています。

そうすることによって、初めて表出できる「真実」なのだと、思い定めて行動しています。

 

 

 

 

今は、そのように行動できることが、嬉しいとか、苦しいとか、そんな感情はないです。

淡々と、黙々と、自分にできることをやっているだけです。

毎日にしがみつくように、生きているだけです。

あぁなりたいとか、こうなりたいとかも、ありません。

なるようになるに決まっている。

そう思っているだけです。