朝8時に起床を試みるも、布団から起き上がるだけで30分を要した。

昨晩は緊張からか、はたまた男性の不安に私がシンクロしているからか、午前3時頃までは、ウトウトと浅い眠りしかできなかった。

当然、心身共に絶不調で部屋を出る。

せっかく車を出してくださった方にも、型どおりの挨拶さえできない。

そうした世間体なことは、もう勘弁してくれという感じだった。

 

 

 

しかし、男性の前に立つと、シャキっとスイッチが入る。

勝手に入る。

だから病気になるのに。

仕方がない。

これが私の選んだ人生だ。

 

 

 

 

幸いガンは初期。

但し、たちは悪い。

男性は40分ほども、診察室で医師に食い下がる。

何故か。

 

 

 

 

医師が言外に、積極的な治療をすすめない姿勢を示し、かつ、放っておいても、後2・3年は大丈夫と言われたからだ。

ただし、95までは生きられないだろう、とも。

(かなり言葉と表現を選んでらっしゃったけどね)

 

 

 

 

男性はカチンときた。

(と当人は言っている)

ワシは90までしか生きられないのかと。

(いや、ソコまでも無理だよ、とは私の見解)

 

 

 

 

この際、自分の命はどうなってもいいから、バッサリやってくれとも、のたまう。

病院が、そんなことをできようはずもない。

 

 

 

 

医師は様々に、治療のメリットとリスクを並び立てる。

(最悪のリスクは、手術中に人工呼吸器に繋がれて、ベッドの上で心臓が止まるまでジッと寝続けなければならない、というケース)

言葉にこそ出さないものの、QOLを最優先とすべきだろうという考え。

私もそれに同意して「体を切ることは、お父さんの命を切ることになりかねないんだよ」と、言葉を添える。

 

 

 

 

言葉には出さないが、男性は無意識のうちに動揺していたのだと思う。

それが証拠に、昨晩はなかなか寝られなかったらしい。

そのために、処方量の3倍の眠剤を飲んだという。

(どおりで!会った時から様子がおかしかったんだ)

 

 

 

 

男性の意を汲み、重ねての精密検査を行う事に。

CT検査、心エコー検査、超音波内視鏡検査など。

ゴールデンウィークを挟むので、次回の診察日は5/15になった。

 

 

 

 

あぁ、やっぱり苦渋に満ちたゴールデンウィークになるんだね。

こうやって、明後日方向から状況は飛んでくるんだよ。

来週の火曜日なんて、私の外来診療日とも重なってるじゃないか。

午前中は男性と、午後は自分の診療とか、何のデスマだよ!

 

 

 

 

診察内容を、コッソリ録音しておいた。

(スマホって便利)

その内容を文章にまとめ、息子嫁にLINEで連絡。

ついでに、音声ファイルそのものも、加工の上、受け取れるようにクラウドに上げる。

 

 

 

 

もう、問題は男性じゃない。

 

 

 

 

私は、自分が倒れるリスクについて、考えておかなければならない。

最悪、頭のネジが相当量、はじけ飛ぶ。

そうなったら、2年前の再来だ。

 

 

 

 

男性に及ぶその影響が、最小限にとどめられるように、手を打っておかなければならない。

それが、今、私が取るべき責任ある行動の一つ。

 

 

 

 

すぐに近隣の協力者宅に向かう。

地域として、組織として、何があっても男性を守り抜くバックアップをと、お願いした。

(まぁ、ぶっちゃけた話、現実は無理だと思ってるよ。誰が私の肩代わりをできる?無理に決まってんじゃん)

ただ、そのお願いの矢面に、私が立つわけにはいかない。

私は弁が立ちすぎて、相手の逃げ場を潰し、挙げ句に、感情をいたずらに煽る傾向があるからだ。

ついつい激高してしまう癖が、私にはある。

しかも悪いことに、感情的になればなるほど、言葉がエキセントリックになり、さらにロジカルになり、尚更、相手を追い詰めることになる。

私の本気の口撃は、悪循環しか生まないことを、ここ1・2年で学んでしまった。

なので、一切の情報を託し、協力者に協議の発願者になっていただくよう、お願いする。

 

 

 

 

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誰一人、見捨てない。

目の前の一人を、最大限に大切にする。

 

 

 

 

それが信条のハズだろう?

そこが矜持だろう?

 

 

 

 

その信条を体現するために、私は躍起になって、男性に執着する。

主治医に「共依存が過ぎる」と諫められても。

こうした以外の社会貢献を、未来への貢献の方法を、今の私は知らない。

 

 

 

 

一般的に見れば、男性は高齢者で、持病が悪化している病的弱者で、その上、医師からも治療を諦めるようにすすめられるガン患者で、見まごうごときもない、立派な社会的弱者だ。

そうした存在に寄り添い、支える行為は、利他的であり、人道的と言われるものだろう。

 

 

 

 

でも、私の見解は違う。

 

 

 

 

男性は、その人生の最晩年にあって、私たちの内面に巣くう「臆病」とか「利己主義」とかと言われるものに抗って見せてくれていると、私は見ている。

また、そうした人間に内在する醜さと、正面切って闘う舞台を、私に与えてくれているんだと、私は理解している。

私は、本当に有難いことだと思っている。

また、このように男性を仰ぎ見る事こそが、本当の意味での人道であり、利他でもあるのだと、私は信じて止まない。

 

 

 

 

そうした視野から、男性のありようの変化を観察すると、深い意味を伴った、全く違う様相を見ることができる。

そうした視野に立ってこそ見える様相を基に、私は行動している。

 

 

 

 

同じ視野を共有できる人がいないことは辛いが、今は、そんな感傷に浸っている場合じゃない。

ついてくるヤツは、勝手についてくる。

潰れるヤツは、勝手に潰れてろ。

俺は、それら屍の山を乗り越えて、前に前に進んでやる。

 

 

 

 

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かつて、賢哲は叫んだ。

善をなさぬことは、社会に悪をなすのと同じだ、と。

 

 

 

 

周囲は言う。

個人の問題に立ち入ることはできない。

ここから先は、手をつけてはいけない領分だ、と。

 

 

 

 

何を情けない!と思う。

威勢の良いスローガンは、ただのはったりで、虚飾にも足らぬものだったんだなと、思う。

世間が云々と言うが、結果として世間に見放されるのは、あなたたちだ。

 

 

 

 

そうした、誰がホンモノで、誰がニセモノなのかを、男性は身を挺して示してくれているとも言える。

だから私は、躍起になるんだ。

分かるだろう?