祈りというか、願いと言うのは、叶ってみるものなんだな。
今朝、男性の親族(息子嫁)からLINE着弾。
主治医から伝えられた内容の詳細が記されていた。
胃ガンであることは、間違いない。
ガンであることが判明したものの、どの位の範囲に広がっているか、入院先の機器では検査できない。
なので、地元拠点病院に予約を入れて、検査を受けさせたい。
その結果を受けて、手術の可否を考えたい。
そのような内容。
検査には病院のスタッフは同行できないので、身内から誰か来られないか、という質問もあったのだろう。
私に「同行してもらえないか」と依頼が記されていた。
そんなことは、たやすいこと。
それよりも、検査のために移動させることの方が、よほどリスキーだろうと、私には思われる。
いたずらに男性の体力を消耗させるだけだ。
そして、やはりと思ったが、病院は、可能ならば手術をしたいらしい。
戸籍上87才、事実上89才の老人の胃を切除する?
周囲のリンパ節廓清を行う?
その上で、食道と十二指腸吻合術を施す?
いまだに微熱がおさまらず、抗生剤を投与し続けている高齢者に?
正気の沙汰とは思えん。
主治医の方が病気じゃないか?
もしくは狂気?
患者の余命、QOLなどよりも、診療点数の方が大切と見える。
何せ、話を額面通りに受け取るなら、良くてステージ3、たぶんステージ4の腺ガン。
胃の大部分か全部を切除しなきゃならんと思うんだが、何せステルス性の高いガンだ。
それを、手術の可否を検討すると言うのだ。
どうせ放っておいても、死んでいく患者。
だったらこの際、診療点数を吊り上げられるだけ吊り上げてやろう。
それができるなら、ベッドを一つ埋めておく意味もあろう、ということか。
もはやこれは医術ではなく、算術だろうとしか思えない。
また、その医師の言葉に踊らされる身内の姿よ...
先日、積極的な治療は望まないと、私に向けてLINEで書き送ってきたばかりだというのに。
それが、ガンですと言われた途端に、手のひらを返して、このざまだ。
私も、身内の死ぬだ生きるだの瞬間を幾度かくぐり抜けてきているので、動揺するのは分かる。
私も、最初の奥さんが子宮破裂で緊急オペになった時、覚悟はしておいて下さいと言われて、すっかり正気を失ったもんだ。
でもあれは、今の半分以下の年齢だった時だもんなぁ〜。
息子さんは私より2つ年上だが、身内の最期に直面するのは、祖母に続いて、これが2度目らしい。
ならば仕方がないか。
男性にも、病院を経由して、息子さん夫婦の意向が既に伝えられていた。
男性も、検査を受けることには前向き。
私に、付き添いヨロシクと、男性も言う。
手術を受けることさえも、前向き。
それでいて、届けたアイスノンを、さっそく喜んで枕の上に置いている。
アァ、これはやはりもうダメだ。
正常な判断を下せる状態じゃない。
今日の会話の中でも感じた事だが、簡単な計算や、今日の日付、年号を思い出すことすらできなくなっている。
意識は、さらに朦朧としてきているんだ。
検査に付き添えと言われれば、私はおとなしく付き添うさ。
手術を受けるというなら、受けるが良い。
術後の地獄の苦しみまでは、付き添えないけど。
顔は出せても、その苦しみまでは共有できない。
そうならないで欲しいと願っている。
また、そうなるわけがないと思っている。
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今年に入って、私の中で立てた命題が幾つかある。
それは、一つの単語に帰結するんだが、その「幾つか」の中に「次世代の育成」がある。
私は、自分一人で好き好んで、高齢男性に寄り添い、今また、その最期にも寄り添い続けようとしている。
そして、これは必ず成就できると確信している。
問題は、その後だ。
私はイイ。
その男性もイイ。
その後が問題だ。
俺って良いことしたよね、チャンチャン!で終わってもらっては困るのだ。
それは私の本意ではないし、これが、ただの一つの好事例として終わるだけなら、こんな手間暇かけて、自分の心身を労するだけの事をする意味なんて、全くない。
もしそうなるならば、これは偽善であり、茶番だ。
一人の人間において、確かに成し遂げられることであるならば、万人にもそれを行える可能性が拓ける。
私は、その最初に投じられる一石になりたい。
私にとっても、その最初の一石になってくれた人がいるからこそ、こうした行動を、恐れもなくできている。
しかし、私の周囲を見回すと、それが貴重な一石であったと理解している人が、いない。
実感できている人が、いない。
ならば、私が、この地域において最初に投げられるべき一石となろう。
私という一人の行動において、万人に可能性があることを示せるならば、きっとその時、その可能性にかけてくれる次代もいるはずだ。
これが、幾つか立てた命題の中の一つだ。
さっそく現れてくれて、ありがたいと思っている。
昨年から、折に触れて声をかけてきた青年だが、ここに来て、急に私に接近してくれるようになった。
今晩も、少ない時間をこじ開けて、私の部屋を訪れてくれた。
先日、私がかけた励ましの言葉が、痛く胸に刺さったそうだ。
翌日、職場でも、やる気や勇気が湧いたそうだ。
そのことの報告と、更なる励ましが欲しかったようだ。
彼からは、私の方こそ体に気をつけてと、逆に健康を気遣われてしまった。
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今、一つの人生が、その日没の時を迎えようとしている。
同時に、一つの人生に、思ってもみなかった曙光が昇ろうとしている。
沈みゆく夕焼けと、昇りくる朝焼け。
その二つを、同時に堪能できる特等席に、私はいる。