今日になって、3月23日付けの入院計画書を作成し、男性に同意のサインを求めてきた。
記載されている入院期間は、4月8日まで。



だからと言って、退院を迫ってくるわけではない。
これは、退院できるものならしてもいいですよという、無言の圧力のようなものだ。


やり口が陰湿。
言葉が過ぎたかな。
事務的、と言い替えておこう。
病院にとって、男性は、事務的に処理されるべき案件である。
それ以上でも以下でもない。
医療機関としては、これが経営的に賢明と思慮される、責任と言う危機の回避方法なのだろう。
その程度の病院だと言うのは、先刻承知。
承知はしているが、頭にはくる。


詳しい病状説明は、全くない。
明日は腹部のCT撮影を行うらしい。
昨日は、内視鏡でポリープらしきものを切除して、生研に回したばかり。
今日は37℃こそ超えてはいないが、実質的に微熱が続いている状態。
しかし看護師は、決して病状を口にすることはない。
詳しいことは、主治医に聞けと繰り返すばかり。
その主治医も、良いとも悪いとも、何とも言わない。
ただ目的も告げずに、回診と検査を繰り返すのみ。


そうした経緯の中での、過去日付を作成日とし、明後日迄の日付しか入ってない入院計画書なのだ。
男性は「退院後の生活計画を着々と練ってます」と、私に言う。
まんまと病院のやり口にのせられている。


私は、男性の気分を害さないよう、言葉を選びながら、性急に退院を決めないようにしましょうと語る。
実際の所、明日の病状さえ不確実なのだから。
素人目にも、悪くなることはあっても、良くなることはないのが、経験的に判断できる。
男性の言葉を信じるならば、体力が低下し続けているのは、明らか。
体温こそ、ここ二日間は微熱程度で安定しているが、体重は入院時よりも2キロも落ち、病院食も半分以上を残している状態。
加えて、たびたび見せる大量の発汗。
バイタル数値は、不安定傾向を示しているはずなのだ。
しかし、そうした医療記録を、開示も説明もしようとはしない。
男性に、一切の判断材料を与えない。
その上での、入院計画書と言う心理的圧迫。


今まで色んな病院を見てきたが、ここまで徹底してる病院を、私は知らない。
男性自身も、情報開示や病状説明を求めていない。
(そもそも男性も、この病院を少しも信頼してない)
それらを求める家族もいない、独居老人。
私は、血縁関係にない、只の知人。


まぁ、いい。
退院しようがしまいが、そこはいい。
自分の人生をどの様なものにするかは、男性が決めることなのだから。
私にできるのは、男性の意向を最大限支持し、その生を支えるだけ。
もし自宅に戻って、通院治療と言うことになれば、どうなるかは分かりきっている。
分かりきっているが、それでも私は、男性の意思を尊重する。


最悪な展開を考えれば、私が刑事訴追を受ける可能性もある。
その可能性があるから、今回の入院に当たっては、誰にも協力を求めなかった。
情報開示も、限られた人だけに絞った。
そんな最悪な可能性、私一人で十分。
その最悪なシナリオ展開は、私の生活基盤破壊の可能性も含む。
最初から、そこまでの自覚と覚悟をもって、男性と相対している。


さて、ここからは、少し、私のうっぷん晴らし。


世間の皆さまの、責任回避の見事さよ!
男性をよく知り、私をよく知る者ほど、決して関わろうとはしない。
普段、責任とか、使命とか、如何にも高尚な人道的美辞麗句を並べている人間こそ、決して関わらない。
一歩たりとも近づこうとはしない。
電話の一本、メールの一通、メモの一枚もない。
最低限の責任さえ、果たそうとしない。
なるほど、世渡りと言うモノは、こうして行うものなんだな。
本当に勉強になる。
有難い反面教師だ。
それが彼らの、存在意味なのかも知れない。


私は命を捨てる。
男性の生を全うさせるためならば、喜んでこの身命を捧げてみせる。
脊髄反射で行ってみせる。
だてに35年間、貫いてきてはいない。


私は、世渡りする為に生まれてきたんじゃない。
チャンと生きて、チャンと死ぬために、生まれてきたんだ。
自らに課した責任を、最期まで全うする。
それが、そういうことだ。
今、この瞬間に命果てても、一片の悔いも無い。
そう断言できる一瞬一瞬を生きられることが、私の歓び。
私の幸せ。
それ以外のことは、本当にどうだっていい。


男性の心は、不安に震えている。
だからこそ、私だけは、不動でなければならない。
何が起こっても、喜んで受け止めよう。


そして叶うならば、男性の満足しきった笑顔を手土産に、この生を終わらせたい。