特に何をしたということはない。

今日は午後一時半まで寝ることができた。
だが、横になっている状態で、既に腰が痛い。
痛いというか、重い。

気力も萎え気味なので、なおさら辛い。
しかし、行かねばならない。



病室で、種々、お話を聴く。
たった一日だが、また少し、体のやつれが進んだ印象を受ける。
それでも、気丈でいようとしている意思を感じる。
それはそのまま、意識しなければ気丈でいられないことを現しているように感じる。


話の内容は、日を追う毎にとりとめの無いことになっていっている。
私は、基本、男性の一言一言に大きくうなずき、必要に応じて最小限の意見を返す。


明らかに「無理だろう」と思われる発言もあるが、それを「無理ですよ」と否定するのは禁忌。
いずれ、自ら無理であることを自覚せざる得ないのだから。
自らの自覚と覚悟で、全てを受け容れる自助努力が大切と考える。
私が行うべきは、その課程を見守り、支えること。
自分は一人ではない。
たった一人でも、自分を有りの儘に理解し、受け容れてくれる存在がある。
そうした自覚が、自らの中から自力で勇気を引き出す環境となるのだろうと、私は信じている。


男性からの、自分の来し方を振り返る発現を受けて、二人して呵々大笑する機会が、めっきり減った。
っていうか、殆どなくなった。
私が来たら話そうと思っていたことも、いざ私が現れた時に記憶が蘇らず、悔しそうにされる。
まぁ忘れちゃうぐらいの事なんですから、きっと火急の話題ではないのでしょう、また思い出したら聞かせてくださいと応える。


会話の内容は段々と浅くなり、時間も短くなっている。
日々の体調の変化に波はあるが、長い目で見れば、右肩下がりなのは明らかだ。


人生の最終章に立ち会わせていただくのは、これが3度目。
いつも、ここからが長い。
まだ、ここからが本当の正念場。
無意識のうちの負担は小さくない。


緊張感から一時も解放されることはない。
しかし、これで倒れるわけにはいかない。
始めたら、最後までやり抜く。
途中で手を引くぐらいなら、最初からかかわるべきではない。
ネガティブな影響が大きすぎる。
かかわるからには、最後の最後まで耐え抜いて、支え、見守り抜くことが、最重要なのだから。


このひどくやる気を萎えさせてくれる腰痛も、そうした緊張感と、緊張感から来る疲れの蓄積の表れなのかもしれない。