久しくなかったことだが、今日は起きる前から胸が痛くて。
お昼前には結構覚醒していたんだが、やはり頭のどこかがボンヤリしたままだったので、無理矢理に寝続けた。
結局、2時過ぎに起きたのだが、自然に「起きた」のではなくて、どこか起きなくちゃいけないから「起きた」起床だった。
夕方からの用事を考えると、この辺で起きておくのが、自分がせかされなくて済む。
余裕を持って行動ができる。
そうした、合理的判断と言えば合理的、でも切迫感と言えば切迫感から来た起床だった。
そして思った。
今日は胸がキリキリと痛むぞ、と。
胸がキリキリと痛む症状が出るのは、久しぶりだと思う。
必要以上に責任を背負い込まないよう、気をつけてきていたつもりだった。
しかし、半分は無自覚、半分は確信的に、自分をして周囲へ気配りさせるよう仕向けてもいた。
ちょっとした役割を担ってしまったからなのだが、「それくらいなら大丈夫」と思っていた役割に対して、結構ディープに係わり、生来の気質も手伝って、大いに頑張ってしまったようだ。
自分で自分を「頑張った」と評価するのもなんだけど。
周囲は、そうした私の行動をどのように評価しているのか、明後日にはハッキリするだろうから、ちょっと楽しみだ。
兎にも角にも、引き受けたその役割に大いに関係あるイベントが、今夜あった。
そのために、できる手は全てうっておこうと、さほどでもない量の準備を行った。
問題は、その準備作業の量や質ではなく、そのイベントにかかわる方達への配慮の方だ。
お一人お一人に、個別の事情がある。
全然別個の価値観がある。
背景がある。
そうしたことをマルッとのみ込み、全てを「より良き結果」へと結びつけるために動くことは、私が最も得意とするところ。
しかしそれは同時に、私にメンタル的ストレスを強いることでもある。
時期が悪かったのかな。
こうも陽気の変動が大きいと、心身共に、受ける影響も大きい。
そうしたことも関係あるのだろう。
胸がキリキリと痛むなど、本当にしばらくぶりの症状だからな。
日参している近隣の高齢男性、ますます体力の減退が進む。
昨日からは、家の中の移動さえ苦労するようになってきている。
今日は、台所に立って簡単な食事の用意をしているだけで、段々と足に力が入らなくなり、腰も痛み始め、しゃがみ込むようになったという。
本当に簡単な作業なんだが、休み休みでないとできないようになっている。
今日は15分ほどお邪魔したが、15分しか滞在できない状態だった。
テーブルを挟んで、お互い、椅子に座って話を聞いているんだが、段々と男性の姿勢が前傾してくる。
私と話をしているだけで、体力が削がれていっているのが、目に見えて分かる。
ただ不思議なのは、そこまでになっても、まだ自力で生活する意欲だけは、一向に失せる気配がないことだ。
自分の口で「体力が落ちたと実感している」とは言うが、だからといって、そうした現実を悲観視するようなことは言わない。
表情にも、悲観的な暗さがない。
ギリギリなところで、健康のバランスをとっているような感じがする。
この男性宅を見舞うのも、メンタル的なストレスになっていると言えなくもない。
しかし、この男性の無事を確認できない方が、私にとってはより心理的ストレスになる。
男性宅を毎日見舞える。
男性の喜ぶ顔が見られる。
そうしたことが、心理的ストレスへの過分な報酬として、私には感じられるからではないかと捉えている。
何にしても、55才の私でさえ心身共にナーバスになるような陽気だ。
戸籍年齢86才、実年齢88才の身体には、さらに過酷なストレスになっていることは間違いないだろう。