私は苦労したい。
死ぬほど苦労したい。
誰もが経験出来ないほどの苦労を重ねたい。
苦労して、苦労して、死ぬほど苦労を積み重ねて、自分の持てる潜在力を極め尽くしたい。
しかしもう、それができる年代は過ぎた。
今も決して楽ではないし、端からは大変な状況にあると見えるかも知れない。
でも、もう苦しくない。
苦しいどころか、この状況を存分に楽しみたいと、心から願ってる。
だからもう、苦労できない。
苦労できることが、楽しくてしかたがないんだから。
そこに、生の実感を思う存分に感じるんだから。
これは苦労とは呼ばない。
死ぬほど苦労したい。
かつてはそう願った私が、苦労できるからこそ、尽きることのない歓びをもって生きている。
今は、この歓びを、トコトン、存分に、全生涯をかけて味わい尽くしたい。
そう願っている。
苦労できるからこそ、私はこれからも生きられる。
私が何者なのか、私自身が知りたい。
叶うものならば、私の存在が、これからの人たちの希望と捉えてもらえる、そういう人生を生き抜きたい。
私も苦労しよう。
苦労して、苦労して、苦労し抜いて、全てに耐え抜いて、自分ならではの華を咲かせる人生を歩んでやろう。
そう感じてもらえる生き方を貫きたい。
だから、苦労しよう。
もっともっと苦労しよう。
歓びの華咲く苦労を重ねよう。
底抜けに明るい苦労を、全存在をかけて表現しよう。
そうやって、誰一人としてちっぽけな存在ではないことを
そして、誰もが無限の可能性を秘めていることを
生き様と現実で
明らかに証明したい。
全てはその為の苦労なのであるから、
それはもう歓びでしかないのだ。
真実の苦労は、歓喜なのだ。