今日は通院日でした。
昨晩は遅くまで起きていたので、今日は少々眠かったw
それでも、以前のことを思うと、ずいぶんと強くなった、良くなったと思います。
相変わらず午後3時、4時まで寝ている生活です。
放っておけばそのまま寝ちゃうところですが、近所の男性宅を毎日訪問すると決めているので、嫌だろうが何だろう必ず起きることにしています。
そうすることが、私の生活リズムを整える上で重要なイベントになっています。
また男性も、私の来訪を心待ちにしています。
その心に応えられることも、また嬉しい。
そうした作用が、私の心理面に「治療」として働いていると主治医は言います。
それにしてもです。
男性の体力は、まるで鉛筆の芯のように、少しずつ、確実に削り取られています。
退院から一ヶ月以上が経ちましたが、体力や気力の衰えを感ぜずにはいられません。
それは男性当人も自覚するところ。
86才で訪れる体力・気力の減退は、一方通行です。
それを、私自身の身内の最期を看取った経験から、よく知っております。
いつとは言えませんが、確実にその時は近づいている。
私たちの間には、言葉としては出しませんが、そうした共通認識があります。
その時が訪れた時、男性にも私にも一切の悔いが残らぬようにと、私は男性の家を訪れます。
思えば、これはとてもありがたいお話です。
人生の最終章の立会人に、赤の他人の私を選んでくださっているのですから。
そこまで、私という人格を信頼してくださっているのですから。
ですので私も、最大の尊敬をもって接します。
今の私は、この男性のことや、他の些細なことを除けば、敢えて何もしないように心がけています。
今は、自分の許容量一杯まで頑張る時ではありませんから。
今は治療を最優先とすべき時であり、心身共に余裕をもって過ごすべき時です。
そうした時に、この男性との邂逅は、私の人生において、とても大切なことを教えてくれる機会となるのだろうと考えています。
それが何なのか。
既にそれを私は知っているはずですが、惜しむらくは、いまだに深く自覚するには至っていません。
それを深く、そして痛いほど強く自覚すべきなのですが、私はそのことを男性の姿を通して痛感することになるのでしょう。
私は、かつて発揮したことのないぐらいの勇気をもって、強く自覚すべきです。
私であると。
私が一人、決然として立てばいいだけのことなのだと。
そのために私は「ここ」に生まれてきたのだと。
ほんの数日前のことです。
とても淡い記憶でしたが、「私」として生ずる前を一瞬、思い出しました。
ま、そんな戯言は脇に置いておいて...
私はレールに乗りました。
もう決して、この軌道から外れることはありません。
全てはすべからく「しからしむるところ」です。