私は、昔から夕焼け空を眺めるのが大好きでした。
茜色の空を眺める度に、胸のすくような思いをしました。
星空を飽きることなく見上げる子どもでもありましたけど、今は環境がそれを許しません。
幼い頃は、綺麗な天の川が、この辺でも見られたんですけどねぇ^_^;
今年に入って、いつからかは分かりませんが、ふと見上げた空や、何気ない風景に、心が動かされることが多くなりました。
美しい...
本当に美しい...
なんて美しい地球(ところ)に、私は生まれてきたのだろう...
凄いな...
本当に嬉しいな...
宇宙に、生命が存在できる環境は幾多とあれど、これほどまでに豊かな生命体系を持ち得た環境が、どれほどあるでしょう。
ましてや、その美しさ、その希有さを、心に思い描けるだけの知性を宿した、私たち人間のような生命体が出現できる環境にいたっては...
それがどれほど希有なことかを知る事もできないほど、私たちはまだ、自分を、地球を、そして宇宙を知らない。
そうした地球のような環境も、宇宙の悠久の時のスケールからすれば、ひとときのきらめきのような存在。
その、ひとときの環境である、この地球に生まれ合わせている、我が身の幸福を思うと、身震いするほどの感激を覚えます。
その事実を知れば知るほど、この地球と、我が身の存在の尊貴さに、畏敬の念さえ覚えます。(私が特別ってことじゃないですよ)
しかも、事実として地球はあり、事実として私たちもある。
それは、それらがそのまま宇宙の理(ことわり)であることを、教えてくれているように思えてなりません。
私の存在そのものが、宇宙の理を体現している、とさえ思えるのです。
その実感に伴う、身も震えんばかりの歓びは、形容の言葉もありません。
しかし、眼前には理不尽がまかり通り、宇宙的に希有な地球環境を破壊してまでも、自らの「欲の充足」に奔走する私たちもいる。
その歯止めの術を知らない、私たちでもあります。
同時に、そうした自己矛盾を孕んだ存在であるということを、自覚できる私たちでもあるわけです。
そうしたことを俯瞰して考えると、私たちこそが、そうした自己矛盾、不条理の闇を突き抜けて、誰もが、何もかもが真の意味で豊穣である世界を築ける可能性を持っていることを、厳しい現実をもって示唆しているように、私には思えてなりません。
私はそのことを知り、そのために生きる。
そのために、ここに生まれ立ったんだと、私は実感するのです。
だから、だからこそ、地球の美しさに触れる度、私の心は歓びにわきたつのでしょう。
地球の美は、私に自身の存在を肯定し、その尊貴さを教え、心からの安堵を覚えさせる。
そうした地球という父母の懐に抱かれている事実。
そうしたことで、私は安心を覚えているのでしょう。
うまく書けないんだけど、今の私は、こんな感じかな。