毎日、半日以上も寝ているくせに、とても充実した日々をおくれている。

空疎感が見当たらない。

日々、新しい発見がある。

目指すべき節目と目標が見えてくる。

やりたいことが、少しずつ明瞭になっていく。

希望と期待に胸が膨らむ。

私の人生は、野望に満ちている。




多くを乗り越え、多くを学び、そしてこれからも学び続け、どこまでもどこまでも果てしない可能性を追求したいと、止まない欲求が、体の奥底からゾクゾクする感慨となって湧き上がる。

それは、それは、本当に嬉しいことだ。



と同時に、まだ乗り越えられぬ悩みがある。



睡眠障害は、良くなりつつあるように見えながらも、しかし私が抱える問題が、本質的な部分で何も変わっていない事実を見せつけてくれる。

こうも毎夜、見せつけられると、否が応でも気づかされる。



私は今でも、夢で自分を貶めている。

私の可能性を否定する登場人物達。

結果を求めても得られぬ現実に歯ぎしりするシチュエーション。

それでも諦めきれなくて、歯ぎしりするばかりの自分。

その私を苦しめる登場人物達(懐かしくも忌まわしい顔ぶれだ)も、ただ耐えるだけのシチュエーションも、全ては私の心の奥底の更なる深淵に潜む私そのものだ。




そうして、以前ほど苛烈ではないものの、毎日のように夢で苦しんでいる。

苦しんで、苦しんで、苦しみ疲れて朝を迎え、疲れで痛む頭を抱えて午前中は布団の中で呻吟し、お昼前後からやっと頭の疲れを癒やす、心地良い時間が始まる。

三時間から四時間ほどかかる。

このプロセスを中途半端に途切れさせると、軽い頭痛と気怠さが寝るまで続く。

おかげで私の部屋のカーテンが開け放たれるのは、二三時間程度になるw



部屋に引きこもるのは、病状の回復に良い影響を与えない。

必要とされ、自らも必要とみなす対話の係わりを、周囲と交わす。

たとえ必要な睡眠時間を削っても。




こんな現状が続くのは、私が私自身の可能性や存在の目的、使命を、素直に受け容れられていないからなのだと思う。

私自身が、私を疑っている。

ほんの僅かでも、信じ切れていない。

それはとりもなおさず、他者に秘められた無限の可能性を、いつもどこかで疑っていることに繋がる。

自らを信じられない者が、人を徹底的に信じられる道理なんてありはしないのだから。




そうした自己否定、自己矛盾、私の中の不条理が、私を苦しめている。

そうした不信を、私の中から一掃したい。




起きている間、どんなにポジティブな自分であれたとしても、自らの存在を否定する自分がいる限り、私は自分の持つ力を、片鱗さえも自覚することはできない。

その根深い自己不信、本然的に備わる不条理を、更なる力をもって超克できるか否か。




そのためには、あとワンステップ。

それは大変な事かも知れないし、実は呆気ないことなのかも知れない。




一日の内の限られた時間の中で、私に出来ることは、たかが知れてる。

だからこそ、そのたかが知れた一瞬に、私の持てる全てを注ぐ。

どんなに望もうが、今の私にできないことはできないんだ。

できないことを嘆くより、たとえ些細であっても、できることに心血を注ごう。




後は一切、振り向かない。

何も余計なことは考えない。

前だけを見て、刹那の煌めきを信じて、一歩一歩歩む。




一期を過ぐることほどもなければ、ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ。




心おきなく苦しもう。

疲れたら休もう。

そして歩もう。




そしたら、いつの間にか、次のステップを踏み越えている自分に気づける。