毎日、毎日、午後3時半頃まで起きられない。
起きられないどころか、午後3時半頃には疲れ切っちゃっていて、頭も薄ボンヤリして体に力が入らない。
なので、体と頭がなんとか動き始められるようになるまで、4時過ぎまで布団の上でゴロゴロしなけりゃならない。
あまりに疲れて、もういっそ、今日はこのまま寝て過ごそうかと思うこともあるほどだ。
ただ独り身の生活は、誰も私の身の回りを世話してくれる人もいないわけで、となると寝て過ごすということは物理的にできない。
だから、どんなに体が重くとも、自分の心に鞭打って布団から起き上がる。
起き上がってしまいさえすれば、後は何とかなるものだから。
少し前までは、もっと早く起きられていたはずなんだが。
そして、眠りももっと深かったはずなんだが。
現在、日中の眠りは、それはもう浅くて、ずっと違う夢を連続して幾つも見ている感じがする。
それはシネコンで、次々に違う映画を観ているような感じで、それが何よりも疲れる原因のような気がする。
夢の記憶はとてもとても曖昧で、夢から薄ら醒めては、すぐに忘れる。
ただいつも、夢から覚める度に、自分がどこにいるのか分からなくなっている。
自分が誰であるのかさえ、分からなくなっている。
布団の中にいる感触と、部屋の雰囲気を感じて、私がどこに住んでいる何者なのかを、その都度、思い出す。
夢を見て、夢から覚める度に、これを繰り返している。
一日に何度も。
そうした夢の中の私は、いつもだいたい「現在」の私ではない。
だいたい、男であるとも限らない。
女である場合も、まま多いのだ。
いや、私の印象では、女である方が多い。
夢の内容は、薄ボンヤリすぎて詳細は覚えていないのだが、なぜかいつも苛烈な環境にジッと耐えている印象だけは強く残っている。
苛烈な環境にジッと耐えること、それが人生そのものであるかのように、いつもジッと耐えている。
記憶のどこにも、印象のどこにも、楽しい夢の痕跡はカケラもない。
そうした眠りのありようは、例えて言えば、既に乾ききった雑巾をさらに絞り上げて、残った水気の最後の一滴を絞り出そうとしているような感じかな。
心の底に溜まっていた澱を、一滴残さず吐き出してしまおう、という感じなのかなぁ~、などと感じている。
病状回復という頂に対して、今の私は、何合目なのだろう?
かなり近づいているんじゃないかなと期待しているんだが、こればかりは今回の人生において初めての経験なので、頂に立つ時を迎えない限り分からないんだろうな。
精神的にはますます安定度が増しているように思うし、焦りや苛立ちは全く起こらない。
そのような精神的な「現象面」を捉えると、そうした生涯を少しも飽くことなく、私は繰り返してきたんだろうなぁと感じる。
そう思うと、自然と笑みが浮かんでくる