全部捨てる。
自分の身以外の全てを捨ててみる。
そうすれば、嫌でも自分の実像を見ることになる。

私の場合、意図したわけではないが、結果的にそうなった。
ここに至る物語を、二言三言では語れない。
その物語を知りたかったら、あなたもそうしてみればいい。
そうすれば分かる。


この十年、死力を尽くして生きてきた。
その歴史に、塵一つほどの悔いも無い。
悔いが無いばかりか、徹し抜くこととはこういうことだったのかと、驚きと、喜びと、感謝が否応なくあふれ出す。
その感慨は、いくら言葉を尽くしても語れない。
知りたかったら、賢聖の言葉の通りに、徹し抜いて生きてみればいい。
そうすれば分かる。


この道に徹すると心を定めて三十四年。
特にここ十年は、生きるか死ぬか、ギリギリの攻防戦だった。
それだけの時間、徹し抜いてこそ分かる真実がある。
貫き通してこそ覚える歓喜がある。
見渡すことのできる希望がある。
真実は、我が身を地獄の底に敢えて置く勇気があってこそ見えるのだ。


小学生の頃から、私の人生の本当の勝負は五十代だと決めてきた。
その中間の五十五を迎え、本当にそうだったなと思う。
ここからが、私の本当の舞台だ。


ここまで私を支えてくださった、数え切れぬほどの母達に、尽きせぬ感謝を覚える。
ここまで私を支え、導いてくださった一人の父にも、深い深い感謝を覚える。
今、この時、その大恩に報いきるこれからであることを、心に深く誓う。

 

一つの道に徹し抜く日々を送れた私は、大変な幸せ者なのだと思う。
一つの道を貫き通せたのは、私に大変な福運があるからなのだと思う。
それは同時に、この世に生まれ落ちた私の使命なのだと思う。


人生の一つの大きな峠を越えて、私の胸の中には歓びしかない。
希望しかない。
誓いしかない。


全ての出来事には、全ての経験には、ちゃんと意味があった。
そう断言できるのも、徹し抜いたから。
貫き通したから。
敢えて地獄に潜む勇気をもてたから。


今も忘れない。
死ぬほど苦労したい。
死ぬほどの経験を経てこそ、本当の意味で、人に尽くすことができる。
私という人間に係わった下さった全ての方達の大恩に、そうしてこそ報いることができる。
だから私を、死ぬほど苦しめろと願い、祈った21歳。


あの時の決断、勇気は、決して蛮勇ではなかった。
極論でもなかった。
教条主義でもなかった。
私の魂の叫びだった。
そして、それは確かに正しかったのだ。


私は猛烈に嬉しい。
未来に希望しか見えない。


このような55年の節目を迎えることができた私ほど、幸福者はいないと思う。