元は孔子の言葉で、『論語・為政』の中にある以下の内容。
「其の鬼に非ずして之を祭るは諂うなり。義を見て為さざるは勇無きなり(自分の祖先ではない霊を祭るのは諂うことである。人としてなすべきものだと知りながら、それをしないことは勇気が無いからだ)」
「義」は儒教の五常(義・仁・礼・智・信)の一つで、筋道の通った正しい行いのこと。
この言葉と反対の意味をなすのは「触らぬ神に祟りなし」だと。
ナルホドォ~w
今日は午後2時過ぎまで寝ていた。
何度も目を覚まし、起きようかとも思ったが、頭がホゲェ~っとしていてなかなかシャキっとしないので、ホゲェ~となっているのに任せて横になってまどろんでいたら、いつの間にかの午後2時過ぎw
以前なら「健康なクセにゴロゴロと横になっているのはいかがなものか?」と自分勝手に罪悪感を憶えたものだが、今は堂々と「俺は病気療養中なのだから、病気療養中らしくゴロゴロしよう!」と開き直っちゃっている。
おかげで肩の力が抜けて、いい感じにリラックスできて、なおさらに病気療養に適った生活ができていると思う。
以前ならば、毎日午後3時起き、4時起きが普通だった生活も、今は午前中から活動できる日も時々ある。
午前中から活動できる日もあれば、午後の5時まで起き上がれない日もあったりと、その日その日で状況は大きく違う。
そのように、起床時間に大きな違いはあるんだが、概してメンタル的には非常に安定してきていると思う。
やはりスムーズに入眠できない夜もまだ結構あるんだが、そういう時は「寝たまんまヨガ」というアプリをスマホで起動させ、スマホのスピーカーから流れるガイダンスに沿って、横になったままで行うヨガを試みる。
これが存外に効果的で、気がつくと朝だw
とまぁ、今日も午後2時過ぎに起きて、午後3時頃には「ちょっとコーヒーと一緒に菓子でも喰らうか」とコンビニに買い物。
外は雨だったのだが、帰ってくると、同じマンションの住人である高齢の女性が、杖をつきながら、マンションの外階段付近から敷地出口に向かい歩いているところとすれ違った。
「こんにちは」と挨拶を交わしたのだが、杖に頼らざる得ないほど足が弱っているからだろう、傘は差していない。
ウ~ン...
私は自分の部屋のドアを開け、コンビニ袋をキッチンルームに投げ込むと、そのまま踵を返して女性の元へ向かった。
お節介だとは思ったが、小雨と言うには少々降りが強い中、濡れるに任せるのは危険だと思い、傘を差しに向かった。
迷惑がられたら、差し出がましいことをしたと、私が頭を下げて戻ればいいこと。
たったそれだけのことだから。
タクシーを呼ばれたのですか?
ビンゴ!
ではタクシーが来るまで、この傘を使ってください。
私は女性の隣りに立ち、彼女が雨に濡れないように傘を支えた。
そんなに大きな傘ではないので、女性が濡れないようにするには、私が濡れる必要がある。
でもだ、私はまだ若い。
部屋に戻って着替えることもできる。
ここは、私が濡れる方が得策である。
傍から観察していると、明らかに「これは大変なことになった。早くタクシーが来てくれないかなぁ」という動揺と、「正直、助かる」という安堵感が、彼女の中でない交ぜになっているのが、手に取るように分かる。
気を紛らわせるために、そして私が無害であることを分かってもらうために、私から少々話を振る。
透析治療を受けているという。
そのために、自転車に乗ることも医師から禁じられたという。
なるほどと思わせられる兆候が、確かに女性の皮膚の上に現れていた。
透析となると、週に三度は病院に通っているのだろう。
食料などの買い物も、タクシーを利用せざる得ないのだろう。
それにつけても、私が住んでいる古い集合住宅は、名称に「マンション」こそ付いてはいるが、2階、3階へは金属製の外階段を上らなければならない古い造り。
築45年近い物件だからなぁ~
私は1階の一番便利のいい部屋に住んでいる。
しかしこの女性は、足もともおぼつかない体で、2階か3階に住んでいる。
今後、さらに足は弱るだろう。
金属製の外階段は、雨が降れば滑りやすくなる。
ますます階段の上り下りに難儀されることだろう。
私の責任ではないのだが、何か申し訳ないなとも思う。
程なくタクシーが到着した。
タクシーの運転手に...
運転手さん、よろしくお願いします。
そして女性には...
行ってらっしゃいませ。
と言い、深々と頭を下げた。
要らないお節介なのは重々承知しているんだが、きっとこの方の日常生活からは、こうした会話のやりとりとか、運転手さんにまで気を遣ってもらえる機会とか、ましてや自分に「行ってらっしゃい」と気遣いの言葉をかけられる機会なんて、喪失してしまって久しいのではないかと感じていた。
おそらく彼女は、福祉の施策や年金制度、医療制度によって、取り敢えず生きていくことはできている。
多少の支障に目をつぶれば、生活できているだけ、まだ幸せなのかも知れない。
そこに、周囲の心遣いが加われば。
心のぬくもりが通う言葉のやりとりが加われば。
そうしたモノやカネでは得られない、心の支え、自分の心の底から湧き上がるぬくもり、安堵感も得られるんじゃないか。
もう冷たくもない雨がそぼ降る中での、要らぬお節介。
とても些細な勇気。
でも、やらなければ、私が絶対に後悔する。
後悔したくないから、私は勇気の傘を差した。