あれは30才の頃だったと思う。
以前にも書いたことなんだが、改めて記しておきたい。
当時、私はとある東洋医療の治療院で治療助手として働いていた。
院長は鍼灸師の有資格者で、その看板の下で仕事をしていたんだが、私自身が行っていたのは「民間療法」と呼ばれる類の施術だった。
私の腕は、当初はクソだったが、ある日から突然「何だか分かるぞ」みたいになっちゃって、そこからメキメキと腕を上げた。
患者さん達からの信頼は厚かった。
ある日、母親に連れられた3才ほどの女児が、患者としてやって来た。
私が担当で、施術室に入った。
彼女と目が合った瞬間、私の心が、もの凄く懐かしい気持ちに包まれた。
しかし、なぜそうなるのかが、全く分からない。
もの凄くビックリした。
それは彼女も同様であったようで、私を目に認めた瞬間、彼女の表情はウワァ~っという笑みに変わっていった。
彼女の方がずっと幼い分、その反応はとても素直だった。
施術時間は、約15分。
私たちにとって、至福のひととき。
彼女は何度も何度も私の顔を見上げ、私の顔を見ては心から嬉しそうな顔をする。
私は私で、心の中では「何でこんなに嬉しいのだろう?」と戸惑いながらも、彼女のそうした仕草を目にできるのが、嬉しくて仕方がなかった。
私の心の中に、フッと言葉が浮かんだ。
良かったね!
本当に良かったね!
優しそうなお母さんのところ産まれて!
彼女の笑みに対して、私も満面の笑みで応えた。
言葉は一言も交わしていない。
言葉は、全く無用だった。
お互いの存在を確認できるだけで、嬉しくて、幸せで堪らなかった。
その後、院長の施術となり、一連の施術が終わって、母親と一緒に帰って行った。
これが最初で最後の来院となり、対面となった。
帰り際、医院の出口で私の姿を探す彼女の姿を、私は影からコッソリ見ていた。
決して彼女から私が見つからないように。
なぜそう思ったのかは分からないが、私の中には「もう二度と会うことはないのだから、ここで私が姿を見せることは、かえって彼女には酷となる」という直感が働いた。
だから私は、姿を隠した。
もちろん初対面である。
事前に、彼女や彼女の母親について、私は何も聞かされてはいない。
彼女と彼女の母親も、私がいるから治療院に来たのではない。
院長の腕がいいと人づてに聞いたからこそ来院したのであって、私に会うのが目的であったわけがない。
とても不思議で、素直に嬉しくて、心に深い感謝を覚える経験だった。
私はこの経験を、本当に心を許せる人だけには語ることがあるが、普段は決して口にはしない。
口にしたところで、相手に分かってもらえるとは思えないし、逆に私のことを「自意識過剰な変な奴」と思われるのが関の山。
だったら、語らない方がいい。
わざわざ語る必要もない。
私はこの不思議な経験を「ご褒美」だったんだと思っている。
具体的に「どうこう」と語れる事実は何もないのだが、私と彼女は間違いなく、いつかどこかで深い深い信頼の絆で結ばれた関係にあった。
きっとそうであったに違いないという確信だけはある。
そうでなければ、あの出会いの意味が説明できない。
現実にはとっくに説明不能な出来事なんだが、私の心の中で説明がつかないのだ。
彼女は新しい生を受け、一度だけ、私のところに挨拶に来てくださったのだ。
私は、そう、信じている。
いつだったのか、どこでだったのか、それは分からない。
でも、確かに私と彼女は、深い縁(えにし)で結ばれた関係であったに違いない。
きっと、同じ目的を共有する二人だったのだろう。
私の方が、彼女に深く助けてもらっていたのかも知れない。
二人で一人、みたいな人生劇を演じていたのではないか。
私には、そう思われてならない。
彼女はもう、20代後半になられていることだろう。
以前は深い縁(えにし)で結ばれた人生だったのだろうが、今回は違うようだ。
お互い、ちょっとだけ違う目的のために、立場を変え、役割を変え、もしかしたら性別までも変えて、生まれ落ちたのかも知れない。
そして「私もやってきたよ」と、私のもとに挨拶に来てくださったのだろう。
会うことは叶わないが、会う必要もないとも思っている。
彼女はきっと、彼女らしい人生をおくられるに違いない。
生を越えて心が響き合うほどの縁(えにし)とは、どれほどのものだったのだろうか。
全く想像の埒外だ。
そして今生にも、そのような縁(えにし)があるのだろう。
その序章としての、彼女との出会いでもあったのだろうと思っている。
どれほどの人生劇を演じれば、生を越えて心が響き合うような人生を謳歌できるのか。
まこと、そのような人生を演じてみたいものだと、私は心から念願する。