体調はダメっすねぇ~orz
特に今日は雨だからでしょうか、四時にやっと起き上がりましたが、それとて、食糧が尽きていたので、近所のコンビニに買い物に出るためでした。
普段はコンビニで買い物なんてしないんですが。
だって、コンビニ商品は高いんだもん(ーー;)


食事を終えて、またズドン!と疲れが出ています。
まぁ、これはしかたがない。
食事後は、吸収した栄養素を体が使える物質に変換するために、肝臓くんがフル回転しますからね。


ホント、ここ3週間ほどは、体調が安定してくれません。
一つの原因は、体の冷え。
昨日から、起床時にはふくらはぎにサポーターを装着するようにしました。
例年なら、もう使わない季節なんですけどねぇ。


若い頃から自律神経の働きが不安定なたちですので、こういう体質だと、内臓系の冷え性を抱える場合があるのだとか。
ウ~ン、心当たりがありすぎだわ!w


55年生きてきて、人生の転機というか、いずれの道に進むのか、選択肢を選ぶ必要に迫られる時ってありました。
私の今までの経験では、私にとって選択肢ってのは、それを選ぶのか選ばないのかという、二択の形で現れるのが常でしたが。


大学進学がそうでした。
最初の結婚もそうでした。
就職もそうでした。
リーマンを辞めるのもそうでした。
東京から故郷に戻るのもそうでした。
離婚もそうでした。
二度目の結婚もそうでした。
二度目と三度目の離婚だけは、私が選択したんじゃなくて、彼女の選択を受け入れさせられたんですが。
特に三度目の離婚(妻にとっては二度目の離婚)を決断した心中は、誰にも想像できない壮絶な苦しみが妻にあったであろうと、私は思っています。
そこを同苦してあげられないことは、本当に申し訳ないことだと思っていますが、こればかりはどうしようもありません。
私には彼女に、寄り添う資格はありませんし、寄り添える存在でもなくなりました。
「ゴメン」と言うのも憚れます。
頑張って生きて欲しいと思うだけです。



とまれ、選択肢です。



今も、フッとした瞬間に、選択肢が目の前に現れる事があります。
否、意識して探せば、いくらでも選択肢を見つけることができます。
現在の療養生活に終止符を打ち、どこかに就職するのも、選択肢としてはあり得ます。
しかし、その結果が不本意なものになることがよくよく分かるので、その選択肢が思考に登る度にかき消しています。



私が今まで選び取ってきた選択肢は、いつも、必然性を帯びていました。
それを選択することが、私にとって必然的だと思うに足る、そういう選択肢でした。



今も、フッと目の前に選択肢が現れることがあります。
ところが、今のところ私の目の前に現れる選択肢には、必然性が備わっていません。
その選択肢を手に取るためには、かなりの無理を自らに強いて、本来なら不必要であるはずの軋轢を乗り越える必要が見え隠れしています。
そして何よりも、その選択肢のむこうがわに、私の可能性の未来が見えません。
時にはそれが、少々魅力的な選択肢に見えたりするのですが、それでもそうしたものは、私の中の基準では選択肢と呼ぶに値しない。
なので、却下です。



正直なところ、現在のような先の見えない生活というのは、焦れます。
もう去年のように、焦れて荒れることはありませんが、それでも少々焦れる。




おそらくこれが、現状で私が選び取ることのできる、唯一の選択肢なのでしょう。
つまり、今は焦れながらも、自分にできることをやる。
どんなに先が見えなくても、目の前の課題に、丁寧に取り組んでいく。
飽くことなく、そうした日常を繰り返す。
こうした生活を続けるのも、私が選択した結果なのですから。




これは私の経験則ですが、大きな転機を迎える時ってのは、その転機を迎えるに足る環境が整っていました。
そして、その転機が「どうぞ私を摑んでください」と言わんばかりに、目の前にポロッと現れる。
今のところ、そうした転機には至っていないですね。
その時に、確実に一歩一歩近づいている実感はありますが、まだまだですね。



その時が来た時に、過(あやま)たずその転機を掴めるように、今は目の前に現れるあやふやな「選択肢もどき」に意識を持って行かれることなく、自らに課せられた課題に取り組みたいと思う、今日この頃なのであります(ロ_ロ)ゞ