例えはやめて、ストレートに書こう。

物事にはすべからく、明と暗がある。
当然、人にもだ。


人は明を求める。

不確定な未来より、より確定的な未来を。
不安より安心を。
闇より明を。

しかし、闇を恐れる衝動に、暗は隠れている。
実に巧妙に。
実に紛らわしく。

より確定的な未来を求めようとも、より安心を求めようとも、それが恐れから発した衝動の結果であれば、たやすく暗に心は取りこまれる。
どれほど正論がましい言葉を並び立てても、その本心が恐れにあるならば、その決断も行動も、決して自らを明には導くことはない。

人は皆、この暗の酒に、心の底からたぼらかされているのだ。

これを避ける途は、極めて困難。
困難であるが、しかし途はある。

正しい途を自らも生き、指し示してくれる存在。
自らも明の人生を生きたいと願い、行動する仲間。
明であり暗である自分を、ありのままに見つめる眼。

この3つがあれば、いい。


私は決意した。
私の中の、闇を恐れる心と、常に断固として闘争することを。
私自身が明であり続けることを。
不安を嘆き、不信に揺れる仲間を、私の身命をもって支え続けることを。
それを、私の人生と定めることを。
それを、私の誇りとすることを。


私には、それができる。
私には、それを遂行する役目がある。
それが、私だ。


不惑と言われる45を過ぎること、10年。
ま、いいか。
長寿命社会だし。
10年の遅れは、許容の範囲だな。

時には間に合ったし。
いいんじゃね、これで。


胸を張れ。
頭を上げよ。
目を見開け。
みんなが待っている。