小さい頃、夜空を見上げるのが大好きだった。

 

私がまだ小さかった昭和40年代前半は、この地の空気はまだキレイで、街の明かりも少なかった。
そうした環境だったので、天気さえよければ、思わずオオゥ!と感嘆の声を上げたくなるような星空が、夜空いっぱいに広がった。

 

天の川、もしくはMilky Wayとは、よく言ったものである。

 

 

しかし、私が飽きること無く夜空を見上げたのは、美しい星々の鑑賞だけが目的ではありませんでした。
私は、私が存在する宇宙を知りたかった。
目の前の小道や草花、河川に山や海も、私にとっては大切な宇宙の一部で、それらは我が目で捉え、我が手で触り、我が肌で感じ、我が耳で聴くことができる。
しかし、それらが依って立つ、この広大な宇宙は、全く私の手の届かない、天空の更にはるかその上にある。

 

そこも知れなければ、私が存在する宇宙を知ることにはならない。
自分が依って立つ宇宙を知らなければ、自分自身をも知ることができない。


今から思い返すと、私が星空に魅了されていた一番の理由は、そんなところじゃなかったろうかと思えます。


私が55年の人間生活をおくっている間に、科学技術は長足の進歩を遂げ、宇宙の観測技術や、観測結果から宇宙の構造を知るあまたの理論が開発されました。
おかげで、私が小学生時代に天文学の常識とされていた一部の理論は、今では過去の遺物に。
次々と新しい発見がなされ、その新しい発見と共に、更なる謎も加速度的に増えました。
例えば、私たちの太陽系が存在する銀河系の組成の内、可視光線や電磁波を放出している物質は、太陽の約643億個分にしか過ぎず、その総量は、銀河系全体の推定質量に対する比率で5.1%以下。
およそ95%もの質量は、その正体が何なのか、全く分からないということが分かったのです。
便宜的にその物質を「ダークマター」という呼称で括り、その放出されているであろうエネルギーを総称して「ダークエネルギー」と呼びます。
つまりは、私たちが生存する銀河系に対する知見だけ見ても、それだけ私たちの知り得たことはほんの僅かで、知見的にはますます闇に閉ざされたままなのです。





この想像図の下側、真ん中あたりに、私たち太陽系が見えます。



私たちは、まだ何も知ってはいないと言うことを、加速度的なペースで発見しました。
つい先日も、アインシュタイン博士が予言した重力波を初めて観測したというニュースが、世界を駆け巡りました。
しかし、重力波を伝えている物質(素粒子)は何なのかは、実は全く分かっていないのが現実なのです。
(おそらくはヒッグス粒子が大きく関係しているのでしょうが、その解明も、今後の観測と、新たな理論の開発を待たなければなりません)
天文学の歴史は、そうした「知らないことが加速度的なペースで増えていった歴史」だったとも言えるでしょう。


上の図で分かるように、私たち太陽系は、銀河系のバジルと呼ばれる中心部ではなく、その中心部から伸びる腕の中に存在することが分かります。
実はこの位置が、生命が太陽系に発生する上で、とても重要な意味を帯びています。






バジルってのは、この図で見える、中心部分の膨らんでいる場所。
この中心には、大質量のブラックホールが存在している事は、ほぼ間違いないであろうと言われています。


ブラックホールとは、時空の特異点です。
ただ一点に、空間のあらゆるモノが落ち込んでいきます。
その一点とは、量子力学的な一点であり、一個の素粒子レベルに全ての物質が落ちていくのです。
素粒子とは、普段よく耳にする名称で一例を挙げれば、原子を構成する電子も素粒子の一種です。

 

その重力圏に捕まった物質は、加速度を増しながらブラックホールの中心点めがけて空間のゆがみの上を滑り落ちていきます。
そして、あるレベルを超えると光さえも脱出不可能。
その境目を「事象の地平面」と言います。
その地平面を越える直前、物質は、まるで死を迎えた時の断末魔のごとき、膨大にして凶暴なエネルギーを発します。
エネルギーはあらゆる電磁波、放射線となって放出。
一部は、目でも感じられる可視光線となって。
そのほとんどはX線であるとか、ガンマ線であるとか、そうしたものとして。


それらの放射線レベルは、決して生命の存在を許さないと言われています。
にもかかわらず、私たちが、ここ太陽系で繁茂できているのは、一つは銀河系中心部からの距離、もう一つはバジル内の膨大な星間物質が、生命にとって暴虐極まりない放射線を遮る「防壁」となっているからです。
星間物質とは、例えて言えば塵のようなものです。


何を言いたいかというと、この銀河系で生命が繁茂できる領域は、実は限られているという事です。
銀河系中心部近くでは、先に挙げた高レベル放射線の問題や、膨大な星間物質が彗星や小惑星として地球に降り注ぐ可能性もあります。
また、そもそもバジル部分の恒星は、この宇宙が誕生した初期に生まれた星々ではないかと言われており、そうした領域では、私たちの体を構成するのに必要な物質が、絶対的に不足しています。
例えば炭素とか、カルシウムとか、カリウムとか鉄とか、そうした原子番号の大きな元素です。
あらゆる元素は、恒星内部で起こっている核融合によって生産されるのですが、古い初期の恒星のみでは、水素やせいぜいヘリウムしか存在しません。


私たちの太陽系も、元は超新星爆発を起こした古の恒星の燃えかすからできたと言われています。
私たちの太陽系に、ガス系惑星の木星や土星だけでなく、地球をはじめとした火星、金星、水星のような岩石でできた惑星が存在するのは、その源に、超新星爆発を起こしてくれた古い恒星が存在していたからです。
私たちの太陽も、その中心部では核融合反応が起こっており、絶えず四個の水素原子から一個のヘリウム原子が生まれています。
しかし、太陽レベルの恒星では、その一生で生成される元素の最も重いものでも、鉄が限界と言われています。
それ以上の、重い元素の生成には、より大きな恒星による超新星爆発が必要であり(そのような天体を超新星と呼びます)、私たち生命は、そうした天文学的な営為の上に存在しているのです。


超新星爆発とは、私たちの太陽の何倍以上もある恒星で起こる、星の一生に於ける最期の現象と言われ、その時には銀河系全てが発するエネルギーよりも更に大きなエネルギーが、一瞬にして放出されると言われています。
そのエネルギー放出の様は、有史以来の歴史書にも記されており、中には数日にわたって、夜中でも真昼のように地上を照らす天体もあったというものもあります。

 

その時に超新星爆発を起こした星も特定されており、観測の結果は、確かにその歴史書に記述と符合することが確認されています。


このように、多様な天体が存在する銀河系に於いても、生命が発生し、ましてや進化までできる環境というのは限られています。
その限られた環境をハビタブルゾーンと言います。
太陽系に於いてもハビタブルゾーンと呼ばれる領域が存在していると言われ、その領域を求める数式まで存在します。
銀河系に於いては、この数式を求めるまでには解明されていない分野が多すぎるのが現状です。


このように天体のことを知ったところで、天文学をかじったところで、量子力学や理論物理学の書籍を読みあさったところで、今日の食が確保され、明日の生存が保証されるわけではありません。
食って生きていく上では、全く何の益にもならない。
事実、こんなエントリーを喜んで読むような人は、千人に一人も、もしくは万人に一人もいないでしょう。


しかし私は、これらを知れることが嬉しかった。
しかも、これらを学び得る環境に生まれ育ち、今も生活できている現実と、混迷の度を増すばかりの社会の中でこれらを知り得たという時代性。
そうした時代性の問題はここではさておき、銀河系という枠内だけで捉えても、私という存在は、実は天文学的にはとても希有にして、実は尊貴なものなんじゃなかろうかという事を実感する上で、こうした知識が、非常に重要なバックボーンとなっています。
現実に起こっている事象を観察し、考察する上で、自らの存在の天文学的な希少性を知る事は、私の知見を拡大させる上で欠かせない、哲学的な大地となっているのです。


しかし、私の驚きは、こんなレベルではおさまりません。
どれだけ私の存在は摩訶不思議なのだと、驚かざるを得ない事実を、更に更に知る事になります。
なので、もう少し天文学的な話題を続けます。



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