対話には、沈黙が必要になる。
寡黙に、ただ相手の言葉を傾ける。
そうした沈黙のプロセスが欠かせない。
ただ漫然と聞いているだけでなく、相手の口調、目の動き、表情の変化、仕草などなど、表出してくるあらゆる変化を見落とさぬよう観察し、真意を見いだそうと努力する。
持てる洞察力を、最大限に発揮する。
重要なのは発言内容ではなくて、その発言の動機を知る事なのだから。
持てる想像力を精一杯に使って、私も言葉を紡ぐ。
その時、私は相手から値踏みをされている。
私が本物かどうか。
私の一言一言に、彼は感性の耳をそばだてる。
今日は朝9時から集まりがあって、普段になく早くに起きた。
寝付けたのが遅かったので、布団の中で「このまま起きるのを諦めてサボっちゃおうか」と何度も思ったが、大切な集まりなので、エイヤっと起きる。
やはり症状が改善してきているんだなと思う。
以前のような眠気に伴うだるさや目の痛みといった症状は、とても薄い。
特に、ここ数日の改善の度合いは、自分でも驚くほどだ。
その集まりに、アルコール依存症の後輩君も来ていた。
集まりが終わるやいなや、「俺の部屋にコーヒーを飲みに来いや」と声をかけ、連れ帰る。
なかなか一筋縄ではいかなかった。
私の部屋に着くまで、また着いてからの言動も、素直でないこと極まりなかったのだ。
だが、そこでこちらがいきり立っては、彼の思うつぼである。
彼は本来、とても素直で、且つ、シャイな男なのだ。
そのために、ひねくれ者を演じている。
素直な自分を表に出すのが、恥ずかしいのだろう。
そうすることが、怖いのかも知れない。
彼自身も無意識に行っていることなので、そうした態度をとる理由を、自分では分からないらしい。
また周囲から、そうした「悪ふざけ」とも捉えられかねない言動によって、叱責を被ることも少なくないようだ。
そうした彼の「悪ふざけ」のような言動は、自分を守るための防壁の役割を果たしている。
彼にとって「悪ふざけ」に「悪ふざけ」で返してくる相手は、脅威にならない。
「悪ふざけ」を叱責してくる相手は、彼の不真面目な態度に呆れ果て、勝手に離れていくので、これまた脅威にならない。
彼にとって「悪ふざけ」的な言動は、自分のメンタルを守る為のセンサーであり、手段なのだろうと思う。
私は、そうした彼の繊細なメンタル面に分け入りたいからこそ、そうした挑発行為にはのらない。
ATフィールドなど、クソ食らえであるw
彼の話を総合すると、どうも、当面は現状のままで何もせずにいようと思っているらしい。
言葉では「考えていることがある」と言うが、それは文字通り「考えている」だけであって、よくよく聞いてみると、実現性を伴っていない。
有り体に言えば、彼は現状を変えるための挑戦を「棚上げ」してしまったのだ。
あ、そう!
だったら私は、一旦、彼を突き放すまでだ。
お前、このままだと地獄を見るぞ。
だったら、徹底的に苦しんでこい。
分かってるよ。
危機感の欠片もない返答だった。
今までの経験で、今回もなんとかなるさと考えているのが、ありありと分かる。
いや、お前は全く分かってない!
分かってないから、そんなことを言う。
そして、今までと同じように、また逃げる。
でも今度ばかりは逃げられないぞ。
お前には、地獄の苦しみが待ってる。
だから、チャンと苦しんでこい。
俺が見ておいてやる。
俺だけは、お前を見放さないから。
地獄の底に沈んで、どうしようもなくなったら、手を差し伸べるから。
今の彼は、どんな助言も聞き入れない。
全く聞き入れる素直さを見せようとはしない。
そんな状態を、逆説的に捉えれば、もっともっと苦しみたいと言うことだ。
そうやって苦しまなければ、分からないことがある。
そうまでして果たさねばならない役割が、彼の人生にはある。
そういう人間を演じる人生をおくられる方なのだと、そのように私だけは信じて、彼のなすがままに任す。
本当の信頼関係は、相手に全幅の信用を置くところからしか始まらない。
そしてその信用は、相手が吐く言葉に置くのではなく、その言葉を吐かせる動機というか、相手さえも自覚していない、彼の内奥にある本然の自我に置くのだ。
相手に内在する本然的な自我を推知するには、全人格的な係わりが必要。
全人格的な係わりを実現させるためには、係わる私の人格こそが問われる。
そのように捉えるならば、彼の抱える問題は、優れて私の問題でもあるのだ。
まぁ、そんなに大層なことを言うまでもなく、アルコール依存症の人間が、自分の意志だけでなんとかできるわけがないんだ。
アルコール依存症は、立派な薬物依存症だ。
適正な現状認識力と判断力が、損なわれている状態なのだ。
病なのだ。
私は対話の中で、何度も何度も「アルコール依存症はだな...」と殊更にアルコール依存症の恐ろしさを語った。
そうやって「アルコール依存症、アルコール依存症と言われると、俺も頭にくるんだけど」と反駁してきた。
アルコール依存症は、死の病なんだぞ。
その行き着く先は、のたれ死になんだ。
その哀れな姿を、俺は親父の姿の上に見てきた。
お前も、自分で何度となく、既に体験してきているんだろう?
お前を馬鹿にして「アルコール依存症」と言っているんじゃない。
お前が「アルコール依存症」の現実に目を塞ごうとしているから、敢えて警鐘を鳴らしているんだ。
まずお前がするべきことは、本当は病院に行くことなんだぞ。
瞬間、彼の面には、悲しげな表情、ハッとした表情、決意を固めかけるかのような表情、落胆、悲哀、色んな表情が、サッと現れては消えていった。
既に私は、彼を追い詰めている。
しかし彼は、私の部屋から逃げ出そうともしない。
私に対して、怒りの感情を見せることもできないでいる。
そうした様子を総合的に捉えて考えるならば、彼の本然的な自我は、どこかで自分との対決を望んでいる。
その為には、私との関係が必要だと、無意識のうちに感じてくれているのかも知れない。
彼には非情に酷な仕打ちを、私はしている。
しかも、対話が進むにつれ、その過酷の度は増していった。
そうした理由は、そうした彼の内面に感じる本然的な自我を、私は信じるに至ったからだ。
人の人生に係わるのに、一か八か、では無責任だ。
私は、彼の内面に、勝負をかけるに足ると判断するのに十分な資質があると判断した。
その資質と可能性についても、言葉を交わした。
彼も、そこに希望を見いだせたようだ。
しかし、希望を見いだせただけでは不十分。
まだ希望の種を、彼の心に植えただけ。
水をやり、肥料を撒き、日の光に当て、大切に育てなければならない。
その作業は、少しずつでいい。
1ミリでも前に進めればいい。
その集積の上にしか、彼にも私にも、未来は拓かれない。
私はありがたいことに、そうした経験を、すでに積んでいる。