人間を55年間やってきて、やっと気づきはじめた事がある。

とてもとても大切なことで、それこそ、私が小さい頃から知りたかったこと。

それを知るためにあるような人生で、それを知りたいが為に、この五体を大地に叩きつけるようにして生きてきた。

 

 

 

でもさ、55年だよ。

もっと早くに分からなかったものかと自嘆してみても、よくよく思い返せば、55年かけて織りなしてきた縁があったればこその気づきなので、これはもう仕方がないのだと思うしかない。

 

 

 

私の人間としての存在期間が、後どのくらい残されているのか。

それをあらかじめ知る術はないけども、人間として生きている限りは、この知見を更に深め、今後の私の役割に活かしていきたいと思う。

 

 

 

 

日々、色々と思うところがある。

私はそうした思索の時間を、とても大切にしている。

古の賢聖の言葉、そして現代の賢聖の言葉に学びながら。

 

 

私の思索は基本的に、実証主義に依って立っている。

無条件に、超絶的な何かに、絶対的に依拠するなどということは、性格としてできない。

なので、自ら行動し、得られる結果を多面的に考察し、そこから何らかの真理の一面でも垣間見ようとする。

特段、高尚な目的や倫理観に縛られた行動でなくてもいい。

普通にありふれた、日常的営為の中で経験する事でいい。

どのような事象であれ、必ず真理と呼ぶべき理(ことわり)に則って発生、存在しているはずだから。

そこを大前提として、身の回りの全ての事象を、考察の対象としている。

 

 

 

 

同時に、私は信仰を持っている。

上に書いたような生き方、考え方と相反するような実践を行っている。

そうした、一見自己矛盾を孕んだような生活こそ、私にとっての実験場であり、自ら実証主義だと宣言する根拠にもなっている。

つまり、疑ってみる前に、先ず自らやってみる。

その結果をもって判断する、ということだ。

 

 

 

 

古からの英知に依るということは、とても大切なことだと考えている。

時代を超えて現在にまで語り継がれてくるのには、それ相応の普遍性が備わっているからだと思うからだ。

また、幾多の賢聖たちが試みた生き様に、私も連なりたいという思いもある。

同時に、そうすることが、得てして独善的思考へと自らを導きかねない「利己的自我がしかける罠」に捕らわれない為の大原則だとも思うからだ。

誰でも「自分 as ナンバーワン」と思いたいっていう欲求があるからね。

 

 

 

 

このブログ自体も、そうした私の人生で得られる知見をより深め、また叶うものなら人様のお役にもたててみたい、という願いから始まっている。

 

 

 

 

ま、それだけではないんだけど。

普通なら絶対に世間の耳目を集めることのない、純粋にメンタルな存在である大切な友の存在を、ネットの上だけでもいいから刻み残しておきたい。

そういう目的もある。

 

 

 

 

 

さて、どこから書こうかな。

誰に向かって、書こうかな。

 

 

 

 

そうさな、やはり幼い時の私の悩みを、ここでもう一度、触れておかなきゃいけないな。

そして語る相手は、やっぱり翔だな。

この手の話題で、語り甲斐のある奴と言えば、翔しか思いつかないし。

翔と楽しく語らっているつもりで、書き連ねてみようと思う。

 

 

 

 

 

ずいぶん前にも書いたことだけども...

 

 

 

 

私は不思議な少年で、幼稚園児の頃から「なぜ人は苦しまなきゃいけないのに、わざわざ生まれてくるのだろう」という疑問に取り憑かれていた。

今だから当時の自分を「不思議な少年」と書くんだけど、当時は不思議でも何でもなくて、実に切実な悩みだった。

日々地獄だった。

 

 

 

 

私は生来、人を笑わせて嬉しがる性格だったと聞いている。

そして幼稚園の中でも、他の園児を相手におどけたりして笑わそうとしたのだろうと思う。

そうした私の試みは、ことごとく揚げ足をとられるという反応で、嘲笑の的とされた。

酷く悲しかった。

 

 

 

 

 

そして、両親が私にもたらした生育環境に大きく依るものなのだが、私は常に周囲の顔色をうかがって行動する子どもでもあった。

いつもは大人の顔色を観察し、意図するところを読み取り、その意図の先回りをすることで、周囲の大人に自分の存在を喜んでもらう。

存在を喜んでもらえることが、子どもにとって重要な、他者からの存在承認にあたるからだ。

(人格形成にあたって、自分の存在が大人から無条件に承認されるという環境は、極めて大切だ。私はそうした環境に事欠く時代を過ごしていた)

 

 

 

 

そうした「人の意図を先読みする」という行動様式を、私は幼稚園でも遺憾なく発揮して、自分の存在証明を周囲から取り付けようと奮闘した。

きっとそうした私の行動は、周囲の目には好奇に映ったのかも知れない。

加えて、未成熟な社会性しか持たない幼児というのは時に残酷なもので、そうした私の行動の揚げ足とりを遊戯の一つとして捉え、私を嘲笑の的とした。

何とか目の前の考えを読み取ろうとする私の言動は、彼らの格好のおもちゃになった。

私は相手の思いを読み取り、それに応えて、喜んでもらおうとしていただけだったんだが。

大人の顔色をうかがうことには長けていた私だったが、いかんせん、幼稚園児クラスの語彙から相手の心の中を正確にはかり知る事は、非常に困難だったのだ。

そして私は、言葉によるコミュニケーションに、絶望を感じた。

(このブログでも、私の文章が持って回したようなしつこい表現になるのは、当時の経験が大いに影響していると思っている)

 

 

 

 

私は誰とも、自ら進んで遊ぼうとはしなくなった。

遊びの輪に誘われることに、脊髄反射的に恐怖を覚えた。

加えて母親は「子どもは外で遊べ」と私を家から追い出し、一人遊びさえ許されなかった。

苦しかった。

毎日が本当に苦しかった。

 

 

 

 

そうして私は、幼稚園児というあまりに社会的には未成熟な世界で、私は既に生きにくさを感じていた。

自分が言葉を尽くして自分の真意を伝えようとしても、その言葉を逆手にとられ、嘲笑される現実。

懸命に想像力を働かせ、相手の言葉に真意を見いだそうとしても、たやすく裏切られる連続。

幼稚園児の私は、これからもこの世界で生きていかなければならない事に、大きな絶望を覚えていた。

 

 

 

 

こんなに苦しまなきゃいけないのに、なぜ人は生まれてくるのだろう?

 

 

 

 

私の記憶に残っている、一番最初の思索テーマ。

今に至るまで、通奏低音のように、私の人生の底辺で響き続けている命題。

そしてこれからも、死ぬまで私を虜にして離さないであろうテーゼ。

幼稚園時代から小学校一年生を終える頃まで、ずっと孤独の闇に沈み、一人、鬱々と悩み続けていた。

そうした私の姿を見かねた母親からは「下手な考え休むに似たり」と罵倒された。

なお孤独に沈んだ。

 

 

 

 

それはとても美しい朝焼けを、祖母の家がある山の上から眺めていた時だった。

本当は、朝焼けだったか夕焼けだったかも覚えてないんだけど、祖母の家は東の海に向かって開けた眺望をもつロケーションだったので、おそらく朝焼けだったのだろう。

とにかく一つの発想が、突然、私の中に降って湧いたのだ。

 

 

 

 

人は皆、何かの仕事をするために、この世界に生まれてくる。

 

 

 

 

何の脈絡もなく。

いかなる思考プロセスもなく。

ただただひらめきだけが、私の心の中で輝いた。

 

 

 

 

瞬間、私は心の底から納得し、安堵することができた。

なぜ納得できたのか。

なぜ安堵できたのか。

その理由は分からない。

しかし、私が得心し、安堵したのは事実であったし、それは今もって継続している。

私はこの時の経験を、とても大切にしている。

 

 

 

 

 

私はこの時に得られたひらめきを、今度は一つの仮説と一つの疑問に置き換えた。

人は、本当に何らかの仕事をなすために生まれてくる存在なのか。

そして、私にとっての仕事とは、一体何なのか。

ここから更に、私の模索の人生は、徐々に加速度を増しながら進んでいく。

人生の於けるこの種の加速度ってのは、苛烈さ、という風にも表現できるかも知れない。

 

 

 

 

一回目は、これぐらいにしておこうと思う。

こうして往時を思い起こしながら、徐々に鮮明になりつつある思考力をもって考察していて、ある一点に気づいた。

たぶん、これはとても意味のある気づきだと思う。

 

 

 

 

私の思索と行動の人生は、生ける地獄のような経験を発端としている。

これは、私が一貫して考え続けている大原則とも一致する。

それは、人として生きる上でチャンと苦しみ抜くことが、非常に重要だという原則。

その大原則に則った人生を、幼稚園児にして実践していたということだ。

 

 

 

 

そうしたことに思いを馳せるだけで、私という人間がこの世界で果たすべき仕事の姿が、おぼろげに見えてくるように感じる。

 

 

 

 

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