今日は通院日。
朝六時に目覚まし時計をセットしたら、その目覚ましが気になって気になって、何度も眠りが浅くなる。
昔から、よくあることなんですけどねん(;´д`)トホホ…
でも、全体的には、少しずつだが良い方向に向かっているのは間違いない。
実感として感じているし、何よりも眠りがいい方向に改質していること自体が素晴らしい。
元気になりたい。
私は元気になって、人を元気にする人間になりたい。
焦りはないけど、願望は、日々強くなる。
こちらでは、今が桜の見頃。
病院にも、このような大樹が植わっている。
逆光で見えにくいので、横からも...
もう、これだけで花見としては、ゲップが出るw
病院の待合室で、姪っ子と、私の妹の旦那さん(姪っ子のお父さん)と出会う。
診察が同時間であったため、自宅まで車で送ってもらえた。
途中、お昼までいただいちゃった!
久々に、食事らしい形をした食事をとれたw
まぁ、普段はどんなもんを食ってるんだ!って話だがwww
さてさて、先週、私の部屋に遊びに来てくれた後輩君だが、数日経っても音沙汰がないので、先週末に彼の自宅をのぞきに行った。
当人は近所に外出中だと、同居している妹さんから告げられる。
その妹さんの口ぶりや、醸し出している雰囲気で、もうだいたいの様子が知れた。
その時の状況だけでなく、今までの諸問題も、少しだけど垣間見えた。
彼が外出している先は、私も懇意にさせてもらっている近所のオジサン。
このオジサンも、後輩君のあまりの酒癖の悪さに、私に注意を促してきた人だ。
(彼がアルコール依存症である事実は知らない)
その家には玄関からではなく、居間の窓から「こんにちは」とお邪魔するのだが、そこにいた後輩君は、私を見るなり目をそらせる。
「オウ!そう来るか!」と、私、落胆w
私も中にお邪魔しようと思っていたのだが、彼が拒んだ。
なので、外でちょっと立ち話。
あからさまに戦意を喪失している雰囲気。
闇雲に怯え、臆病の殻に閉じこもってしまっている精神状態が見て取れた。
こりゃ、今は何を言ってもダメだな。
私は一目で、一声で、一つの動作で、それが直接であれ電話であれ、場合によってはメールであれ、相手の様子が、特に内面の心象風景が私の中に再現される。
私だけの特別な能力じゃない。
本来は誰にでも備わっている能力だ。
ただ私は、幼い頃からの経験で、生き抜くための術として、意識して身につけてきたというだけだ。
つまり、世に言うところの洞察力。
人によっては、私に目を覗き見られるのを嫌がる人もいる。
心の底まで見透かされそうで、怖いという。
本当に怖いのは、見透かされては困る問題を抱えている、その人の心なのだが...
話が逸れた。
彼は、自分が一歩前に進まなければならないのを、分かっている。
分かっていて、臆病の殻に逃げ込んだ。
それが後ろめたいから、私の視線から目をそらした。
彼は震える心で考えたはずだ。
現状のままでも、取り敢えず死ぬことはない、と。
しかるべき期間、ジッとしていれば、困難の方が去って行くと。
そのように考えたのだろう、未知の未来に訪れるかも知れない恐怖から、彼は逃げることを選んだ。
いつものように。
今までもしてきたように。
その姿は、彼の今までの生き方そのもの。
一歩前に進むべき時に、彼はいつも言い訳をあげつらっては、勝負を避けてきた。
自分との対峙から逃げ回ってきた。
その挙げ句の、断末魔一歩手前の状況なのに、恐怖のあまりに、その現実を直視できなくなっている。
臆病もの覚えず、という言葉がある。
彼のような姿をいう。
臆病であっては、人生から何も学べないのだ。
どんな人生にも、絶対に苦労はついて回る。
どんな恵まれた環境に生まれ育とうが、人は必ず、人生のどこかで苦しまなきゃならない。
同じ苦しむなら、早い内に苦しみ抜いておいて、苦しむ事を楽しめるぐらいの耐性でもつけときゃいいんだが、このご時世、そんな生き方を教えてくれる人はいない。
だからこそ、不本意ながらも苦しみ抜かなきゃならなかった人ってのは、幸せな部類の人なんだと私は思ってる。
苦しまないことが幸せなんじゃなくて、チャンと苦しみ抜けることが幸せの大前提なんだから。
その上で、そうしたことをちゃんと教えてくれる、指摘してくれる友に出会えることが、人生の幸せなのだ。
そうした幸せこそが、極上なのだ。
世間一般でも時々言われるように、一生のうちに経験しなきゃならない苦しみの総量ってのは、一定量、あると思う。
だから若い内から、いや、気力も体力も横溢している若い内だからこそ、ちゃんと苦しんでおくべきだと私は実感している。
若い人を相手に懇談する機会がある度に、その必要性を私は語る。
しかし、その若い内の苦しみを、避けて、避けて、避け抜いて生きてくると、この後輩君のような「逃げ癖」「負け癖」が身に染みついてしまう。
画に描いたような敗残者の姿をさらすことになるんだ。
可哀想に思うが、これは彼自身が下した選択の結末なんだ。
家族も含めた周囲は、彼は元気になりさえすれば、また仕事もできるし頑張れるに違いないと、彼の外面だけをみて判断しているようだ。
私以外、皆がそう言っている。
また彼も、そうした周囲の声に「そうなのかもぉ~」などと意気消沈している。
本当はそんなことないのは、彼自身が一番良く分かっているのに。
そしてその事を、私は口を極めて、何度も何度も語ったのに。
なのにここで、現実からの遁走かい!
そんな後輩君の姿を見て、私もちょっと意気消沈した。
でも、すぐに考えを改めた。
彼は、この「逃げ癖」「負け癖」に自分で気づくことが、先ず必要。
その為に、時間がかかるのは必定。
五十年近くも逃げ回ってきたんだ。
今さら、そう簡単に気づけるわけがない。
なので、ここで時間がかかるのは避けようがない、必要なプロセスなのだと私も覚悟を決めて、臆病の殻に閉じこもっている彼につきあう。
適当な距離をもうけつつ、それでも私は諦めていないぞというところを見せつつ、適切な時間をおきながら接触を続ける。
そうやって、彼の醜い敗残者の姿を、私という鏡に映し出して、彼に見せつけてやるのだ。
彼は私に会う度に、苦しむだろう。
苦しみたくないから、会おうともしないだろう。
逃げまどえ!
逃げまどえ!
私は甘やかさない!
どの道、彼には後がない。
そのまま、敗残者の姿で死んでいくのか。
人生の最期の最期で、自分に勝負をかけるのか。
私はもちろん、後者を彼を望むが、選択権は彼にしかない。
当人が臆病の虜になっている以上、現状ではどのような策も無意味。
彼に、あなたは孤独ではないよというメッセージを送りつつ、彼の自覚の訪れを待つのみである。
人の人生にかかわるという作業の本質は、忍耐である。

