私が生きている世界は、どんな世界なのだろう?
なぜ苦しむのに、産まれてくるのだろう?
最期には死ぬのに、なぜ?

幼稚園時代からの疑問。
よく人から笑われるけどねぇw
母親からも「下手な考え休むに似たり」と怒られてたw

私たちが生きるこの世界は、11次元なんだって知ってました?
私たちは三次元しか知覚できませんが、この世界を数式で表すと、どうしても11次元でなくてはならないのです。
でも、上位次元を観察する術はありません。
でも、11次元なんです。

この宇宙を構成する力は、たった四種類だって知ってましたか?
電磁気力。
重力。
大きな力(核力みたいな)。
小さな力(電子を原子核内に留めているような)。
この中で、重力だけが有意に小さい。
小さすぎるって知ってました?
次元を隔てて存在する別宇宙と、重力だけは行き来しているんじゃないか?
そうした仮説を唱える物理学者もいます。

時の流れは一定だ、なんて思っていません?
観測者の存在する場所によって、時の流れるスピードは違います。
例えば、よく使われるカーナビは、相対性理論によった補正を加えない限り、毎日、約6メートルほど、現在位置がズレていきます。
理由は至極簡単で、静止衛星軌道上をとてつもない高速で運動しているGPS衛星と、地球の自転速度で運動している私たちとでは、相対的に時間の流れるスピードに差があるからです。
カーナビは、GPS衛生の時計が発する信号を頼りに動作しますから、地球上の時計よりも遅く進むGPS衛星の時計を利用するためには、その差を埋める補正が必要なのです。
ネ!
時間の流れるスピードは、一定ではないでしょうw

時はすべからく未来に向かって流れるものだ、なんて思ってませんか?
理論物理学の世界では、過去に向かって存在する素粒子の存在が予言されています。
それを観測する術が無いのが難ですが。
その存在無くして、現に確認されている素粒子の存在を証明できないのです。

そして、ハビタルゾーンという言葉をご存じですか?
知れば知るほど、私たち生命が、ここ、地球に存在していることの奇跡性に、驚かざるを得ないでしょう。
その道を極めた物理学者や天文学者が、生命の尊厳を説くのには、極めて論理的な根拠があるのです。
物理学や天文学の道に限りません。
およそ、この世界に於いて「学問」と名づけられた道を極めた人ほど、異口同音に「生命の尊厳」と語ります。
一つの道を極める、と言うことは、一人として意味の無い存在などあり得ないことを知ることに通じるのです。
トコトンやってみれば、分かります。
トコトンやってみれば。
殆どは、やらないのですが。
残念ですが、しかたがありません。
それも真実なのです。

私の思考は、疑問で一杯に詰まっています。
常にパンパンです。
どの様な現象を見るにつけ、自らが考え、行動するにつけ、私は常に「なぜ?」と自らに問いかけます。
時には、その問いかけへの答を得んが為に行動します。
否、私の行動の殆どは、常に疑問への答を得たいが為だと断言できます。
私は自分の人生を、「生存する」という事の意味や目的を知る為の実験場だと考えています。
若いときから今に至るまで、ずっと。
だから、何があってもへこたれないし、相当に、自殺を試みる程度には苦しんだとしても、最終的には自分の人生に絶望しないのです。
だってこれは、真実を知る為の実験だから。
私の立てた仮説が誤りであるならば、私は思い半ばにして死ぬだけのことです。
それはそれで、悔いはありません。
仮説として立てた信念から、少しもぶれなかった上での結論なのですから。
私にとっての人生は、そういうことなのです。

生きるために苦しんだ。
生きるために自殺した。
生きるために閉鎖病棟に入った。
生きるために女房を閉鎖病棟に放り込んだ。
色んな想いはありますが、収斂するところは、「真実を知りたい」という事だけです。
だから耐えられました。
私は昔から、非常に知識欲の深い人間でしたが、その源は、「本当のところを知りたい」という一点に尽きるのです。

本当のことを知るためには、苦しまなければなりません。
苦しんででも知るのだ、という覚悟。
苦しんででも知らなければならないのだ、という誓い。
それが、私という人間の存在目的なのだという使命感。

徹底的にこだわり、徹底的にやり尽くす。

そうした実験的な人生をおくることができた私は、本当に幸福なのだなと実感しています。
自分の奥深いところから、感謝と歓喜がわき上がってくるのですから。

そうした日々をおくってきたことで、新たな自身の存在目的を知ります。

知り得た事をバックボーンとして、現実の社会と人類の未来に資する人生をおくる。
私の心は、希望に満ちています。

私が知り得たことは広範囲に、また、多岐に渡り、とても一言では語れません。
その知り得た事を背景に、コレだけは譲れねぇ!と断言できる事実が、二つ、あります。
それは...

生命こそ尊極無上のものである。
一人として、生きるに値しない人間など、いない。

だから、一人の眼前の人間に、絶対の信をおく。
それが、この二つの事実に基づいた時にとられるべき行動の、第一に置かれるべき実践であると、私は考えます。
これが、私の実験的人生の結論です。

結論は出たので、後は実践あるのみです。