土曜日は栗さんと面会をする日である。

その前日である今日、栗さんからメッセージが届く。
明るい調子で、「こういう心構えで生きていけば良いだけですよね!」的な事が書いてあった。

書かれていることは正しかった。
だけど、私は「危ない」と感じた。
今までに何度も陥った落し穴に、彼女はまたはまりそうになっている。
その様に感じた。

なので、返信では...


その通りです。
でも大切なのは、そうした人生を十年、二十年と生き抜く覚悟なんですよ。


と打って送った。
私としては、言葉を選んで、簡潔、かつ、丁寧に答えたつもりだったのだが、それでも栗さんのご機嫌をかなり損ねることになったようだ。
明日の面会をキャンセルされたw


加えて、私は病人なんだからそっとしておいてくれとか、私を見下すのはやめてほしいとか、慢心は誰にでもあるしワガママなのは私だけじゃないとか、あなたも傲慢なところがありますよとか、完璧な人なんかいませんよとか、思いつく限りの文句を書き連ねたメッセージが返ってきたw
そして、それでもやはり見捨てて欲しくはないのだろう。
追いかけるようにして、そんな精神状態を示すようなメッセージも送られてきた。
既に時間が夜の9時を回っており、消灯時間に入っていたので、私からの返信は控えた。


なるほどねぇ、そうですか。
では、彼女には一人で苦しんでいただきましょうか。
彼女の姿勢は、一人で天に唾しているようなものですから、結局は自分が苦しむことになるのです。
でも、そうした痛みは大切です。
シッカリと痛い思いをして、なぜ痛い思いをしたのかを、自分で考えてもらわなくてはなりません。
子どものような駄々に、一々付き合っていては、彼女のためになりません。

ま、こういう私の姿勢が、栗さんからすれば「上から見下す」姿に感じるのでしょうね。


誰が、時間を割いて面会の時間を作っているのか。
誰がバス代まで捻出して、バス2台を乗り継ぎ、30分も歩いて面会に来ているのか。
そうした分かりすぎるぐらい分かりやすい現実が目の前にあるのに、その当事者である私に「私を上から見下してる」とか「あなたも傲慢だ」とか言えてしまうところに、彼女の幼稚性がありありと現れています。
その幼稚性を遺憾なく振り回しながら、「コレだけの事が分かっている私は凄い」みたいな事を、彼女は言っているわけです。
「そんな私を認めないあなたは、傲慢だ!」と言っているわけです。


ガキの言い分に、一々、バカ丁寧に付き合う私ではありません。


今週月曜日の面会で、彼女にぶつけた私の指摘が、相当、こたえているようです。
良い事です!
自宅に居たのでは、この様な展開は望めません。
だから入院してもらったようなものなのですから。


彼女は今、自分の小さな自我の殻を、自力で破ろうとしているんです。
例えて言えば、鳥の雛が卵から羽化する為に、小さな嘴と非力な力で、懸命に卵の殻を破っているようなものです。

この時に大切なのは、決して手を貸してはならない、ということです。
どんなに酷いと言われようとも、傲慢となじられようとも、私が力を貸してはいけない。
必ず自力で、小さな自我の殻を破っていただく他はない。


栗さんは、恵まれています。
こうした事をチャンと分かって、側で付かず離れずして見守ってくれる、私のような存在があるのですから。
時が来て、また力が必要となれば、即座に手を差し伸べる私がいるわけですから。
このチャンスを、生かさせてあげたいと思います。

私には、そうした存在はなくて、周囲を大いに巻き込みながら、一人で痛い目をみて、自力で気づいて、自力で確かめて、今日があります。
寂しかったし、辛かった。
やり通せたからこそ、悔いはありません。
今となれば、全ては良い思い出ですし、全ては私の力です。

そんな経験と思いがあるからこそ、栗さんには必ずこの壁を越えて欲しいと、心から念願していますし、その為なら、私は何でもします。
こうした事をできるようになる為の、今までの人生であったのだろうと、私は思うのです。