大好きな珈琲豆を買ってきて、自宅で挽いて、自分で淹れる。
大好きな音楽で鼓膜を震わせる。
心地良い味と香りと響きに、我が身を漂わせる。

{2D37643B-811C-4BE4-93D2-10A2B7FBBB0C:01}

あぁ、至福のひと時だ!


私でいる事。
徹底的に私でいる事。
他の何者にもなろうとしない事。
私に何かを付け足しもせず、私から何かを削りもしない。
誰かを羨むことなく、自分を蔑むこともしない。

私には本来、必要な力は全て揃っている。
その為の覚悟も備えている。
その事を確認するための、今までだったのだろうか。
その事を、日々、確認している、ここ二、三日だ。

何にしても、私は私であれば良い。
大切なのは、それだ。

ただそれだけの事に気づき、その事を実践できる自分を再認識するだけの事に、随分と遠回りをしてきたもんだ。
その遠回りも、全て必要な道程だったんだろうけど、それにしても足掻いたなと思う。

私の中の、とてもとてもピュアな部分。
繊細で、強靭で、感受性に富み、発信力に優れ、人間が大好き。
その様な私の本質に、私自身が絶対的な信頼を置くべきなのだ。
そこに、真摯に向き合うだけなんだ。

ところが、世間の塵芥にまみれ、その視点を見失いかける。
自分が、そんな大それた人間だとは、到底思えない。
それは同時に、他者が本来持つ無限の可能性の否定でもある。

さらには、少々仕事ができ、小金も持ったものだから、小さな欲求を満たす事に執着してしまい、私の本源的な欲求を蔑ろにしていた。
ただ儚い刹那的な充足に、惑わされていた。
そうした愚かさと、愚かさからの回帰も、今後の人生において、私の力となるのだろうが。
それにしても、遠回りをしたものだ。

今は思う。

私の持てる全ての力を、私が果たすべき目的を果たす為に、集中させよう。
それは全く難しい事ではない。
実にシンプルで、誰にでもできる方法論だ。
それを、倦まず弛まず、実践し続ける。
それが、私が私でいられる、唯一にして確実な方法なのだ。

今月は、お義母さんが亡くなって5年目。
私にとって、とても大切な節目となる時。
そんな大切な時に、大切な事を思い出させてもらっている。
大いに意味のある月にしたい。