とは言ってもだ、やはり苦しい事には変わりない。
相も変わらず、私は苦しんでいる。
苦しまなきゃならない理屈は分かる。
頭では分かっている。
それを、どうすれば私が納得できるかだ。
苦しいのは、やはりイヤだもん。
出口が見えないのは、どうしたって苦しいモン。
困った。
なので、このように自分に言い聞かせることにする。
今は、苦しいままに、それでも頑張り抜く生き様を表現し続ける私を演ずる時なのだ。
苦しくても、ただただ、今できる事を粛々と、しかし精力的に続ける。
今はそういう時なのだ。
今後、訪れるであろう人生の展開を、よりドラマティックにする為に、絶対に欠かせない展開なのだ。
だから、私は苦しい事を喜ぼう。
心に寂しさを抱いている事を、喜ぼう。
そうした苦しみが私にあるという事は、確かに私は私を演じているという、確かな証なのだ。
そのように心得て、私自身に語りかけ、励ますことにする。
これで少しはわき目を振らずに、前だけを向いて、腐らず、焦らず、頑張れそうだ。
そもそも私には、昔から、何がしかのハンデがつきものなのだ。
幼いときも。
学生時代も。
もちろん、社会に出てからもだ。
週休二日では抜けない、身体の疲れ。
徹夜したって全然平気な、周囲の同世代が、羨ましくてしかたがなかった。
さらには、会社組織の中で、歪でいる事を強要される人間関係。
四年ほど我慢したが、以降はサラリーマンという就業形態を諦めた。
私には、会社勤めは無理だと悟った。
以降は、腕一本で生きていける道に進んだ。
もちろんそれでも、健康面での苦しみは絶えないんだけど、メンタル面は、サラリーマン時代に比べれば断然ラク。
特に自営業者になってからは、完全自己管理だもん。
誰からも束縛されないし、させないし。
その代わりじゃないけどさ、自分で自分にこれでもか!ってぐらいのハンデを与え続けたけどさ。
来し方を振り返り、そんな風に考えてみると、私の生き方は常にハンデを負うことが宿命づけられていたんだろうね。
途中から、ハンデが大きいことを喜んでいた節さえある。
自虐的だったとも言えるし、そうやって自分の可能性を、ガンガン叩き伸ばしてきたとも言える。
ハンデは、私にとって、私の可能性を発見させ、目的達成への純粋性を高める方法論だったんだろうね。
今も、私は私の目的に向けて、その純粋性をよりより高めているものね。
バカみたいに高めていかなきゃ、やってられないよ、この状況は。
それに加えて、バカじゃないのか?と言われそうなぐらい、楽天的だし。
このオジサン、絶対に頭がオカシイよw
でも、絶対に諦めたくない!
諦めるぐらいなら、最初から人間なんかやってない!
諦めない限り、目的は必ず成就できる。
私は、ただその事を、証明したいだけなんだ。