死ねばイイのにと思う。
でも、まだ死んでない。

もう何人分かの人生を生きたと思う。
ずいぶんとやらかした人生だが、幸い、悔いはない。
やりたいようにやり、生きたいように生きた。
あいつは、もう独り立ちした。
あいつは、もう一人でも大丈夫だ。
あいつには、もう方向性は示してある。
あいつなんかは、そもそも大丈夫だろう。
だから、もう、私はイイんじゃないかと思う。

だったら死ねばイイんだが、勝手に死ぬことは、あまりに周囲への悪影響が大き過ぎる。
ずいぶんと勝手な人生をおくってきたのに、この勝手だけは許されない。
無責任に過ぎる。
自分では命を絶てない。
いっその事、やらかしてしまおうかという衝動には駆られるが、やっぱダメ。
衝動に負けぬよう、刃物とワレモノは、身近に置かないようにしている。

もう十分に仕事は果たしてきただろう、と思う。
この上、まだ仕事があるんだろうか?
私でなければ果たせない仕事が?
私なんかが、まだ必要か?

こればっかりは、自問しても、答なんか出てくるわけがない。

だから毎日、まだ生きてる現実に思う。
まだ仕事があるんかい!と。


とまぁ、情けないぐらい、今の私は不安定だ。


そんな不安定さを抱えながら、今日は栗さんの面会に行って来た。
その為に車を出してくれる協力者もいる。


どうかあなたは、私の面会の様子を見ていて下さい。


そのようにお願いして、面会室にも同行してもらった。

今日は栗さんに、「チャンと苦しむ」ことをお願いして帰ってきた。
帰り道、同行者に問うた。


あの局面で、彼女の問いかけに対して、明快な回答ができるでしょうか?
普通なら、無難な励ましで済ませてしまうところではないでしょうか?
でも、それでは、あの方にはダメなんです。
あの方がどういう人物で、どうして病で苦しまなければならないのか、そうした事がチャンと分かってなければならないんです。
分かった上で明快に語り、彼女の中に納得を生まなければならない。
そうした働きかけが、あの方には必要なんです。


同行して下さった方は、人並み優れて苦労してこられた方なので、私の言うことに、深く同意して下さった。

こうした働きかけの目的は、単に栗さんの病気の回復にあるのではない。
この方にこそ、私が今、行っているような他者への関わりを、未来において行って欲しいと願っているのだ。
私以上の力量をもって、このような関わりを行える人であり、また、多大な影響力を発揮する人であると、私は信じている。

そう信じる根拠は、ある。

この方は、誰よりも苦しんできている。
苦しみ抜きながらも、未来に希望を抱き続けている。
こういう人が、今の時代、人々の本当の希望と光る人なのだ。
しかも、女性ではないか。
うってつけである。

いつの世だって、一番苦しむのは女性であり、子どもなんだから。
野郎の私なんかが出しゃばるよりは、女性のこの方に立ち上がって頂く方が、よほど、イイ仕事ができるに決まっている。


今日もこの方の心から憂いを消し去り、新たな決意を引き出す事ができた。
こんな作業を、今後も飽くことなく繰り返す。
この人の中に、本物の自覚が芽生える、その日まで。