先のエントリーの「嗜癖(アディクション)と底つき」と「共依存の嗜癖の酔いから醒めてみて」は、プリントアウトして、水曜日の通院で主治医にも見てもらい、意見をうかがおうと思っています。
私にとって、この気づきは、人生の大きなターニングポイントになると思っています。


さてさて、こんな事は書きたくないんだけど、あまりの酷さに、怒りと情けなさで憤懣やり方なく、こんなところで吐き出してみる。


生命尊厳主義。
このテーマのもとに、看板を掲げている筈である。
しかしだ、私が現場で目にする現実は、あまりに無責任主義であり、生命軽視であり、自らその看板を放棄した臆病な敗残者の程を示している。
そのくせ、カッコをつけることと、美辞麗句で飾ることには腐心する。
誰も地べたを這いずり回ろうとはしない。
情けないこと、極まりない!
反吐がでる。


15年前もそうだった。
あの時も、私がとても見過ごす事が出来ず、たった一人で立ち上がった。
しかし「看板に泥を塗ることになる」と、周囲からは関わりを禁じられた。

しかし、そんな事で怯む私じゃない。 

正しい事は、行動し抜いてこそ、正しいと証明されるんだ。
だから、一人で行動し、今も私一人だけが見守り続けている。


この度もだ!


過去に幾度も、この問題に深く関わり、軌道修正を加えるチャンスはあった筈なのだ。
しかし、誰も全く手を入れなかった。
まるで、何の問題もないと言わんばかりだ。
既に尊い命が一つ、失われていると言うのに、全く問題視もされず、今も問題などないというのが、公式の見解らしい。
私がこの地に越してきて、私が初めて具体的な手を入れた。
その爆心地で、一人、苦しんできた方から、どれだけ感謝されていることか。
私が、私がと、話が私中心みたいで恥ずかしいが、事実なのだから仕方がない。
詰まりは、私がこの地域から転出している間、事態は全く変わってないばかりか、かえって酷くなっていたのだ。


誠にふざけた話だ!


今晩も、現場の人たちからは、問題が口々に語られた。
私はその一つ一つを丁寧にうかがい、私からは語れる事を話させていただいた。
私はこの問題にも、責任をもって対応しようと、ここ半年以上、たった一人で関わり続けているので、知っていること、分かっていることは多々あるのだが、とても皆さんにお話しするわけにはいかなかった。

代わりに、私たちが取るべき行動、備えるべき心得をお話しした。
私が責任をもって対応していることを知り、安心してはもらえたようだ。
でも、大切なのはこれからだ。


私は、こんな不正義を、絶対に許すわけにはいかない。
私の愛すること地域で、いつか、誰かが、この臆病な流れを転換していかなきゃならない。
だったら、私がやろう!
地域のことを思うと、未来を思うと、私は無責任ではいられないのだから。
だから、私まで臆病であっては、絶対にならない。


その為にも、私がいつまでも共依存に耽るような生き方を、続けるわけにはいかないんだ。
やっと、そうした嗜癖の底つきを覚えることができたんだから、大きな目的の為に、ここで生き方を変えなきゃ!
利己ではなく、利他に徹する人生を歩んでやるんだ。
そうした人間像を示し切ってこそ、初めてこの流れを転換させることができるんだから。


私の中の弱さが、私の力を弱める。
私が弱いままでは、できる仕事も限られてしまう。
それでは、あまりにもったいない!
私は、私の中の悲哀を克服し、前に、前に、進み続けるんだ。