今日は11時半に起きたんだが、眠くて眠くて。
一時の集まりに行かなきゃならなかったんだけど、いっそ、お断りの電話を入れて、寝てようか!などとも思うぐらい眠かった。
頭が痛切に睡眠を欲していた。
起きると、前頭葉部にズキンと鈍い痛みを覚える。

皆さんの楽しみにして下さっている心情を思うと、寝ているなんてできないな!
そう思い直し、布団の上で少しずつ身体を起こし、起床する。


集まりは大成功!
私も発表をさせていただいて、集りに花を添えさせていただいたのだが、その発表内容でこの一週間、ずっと悩んでいた。
内容の大筋を決めたのが、集まりの一時間前。
後はぶっつけ本番。
集まったお一人お一人のお顔を拝見しながら、その場で話を組み立てていく。
大変に喜んでいただけたようだ。
しかし、こんなにギリギリまで悩んだのは、初めてだ。


帰宅して、「実録!あるこーる白書」西原理恵子&上妻ひでお、協力:月乃光司)を読む。
アルコール依存症の克服者とアルコール依存症の夫を抱えていた当事者との対談形式。
行間から「実際はこんな綺麗事じゃねぇんだぞ、てめぇら!」という、対談者達の文字になってない強烈なメッセージが感じられる、そんな印象を強く持つ。
あのお母さんに、ここまでの当事者意識を持ってもらうのは、並大抵のことじゃないなぁ。


本書で「底つき」という言葉を初めて知ったんだが、この言葉が痛く私の心に突き刺さる。
ほんの少し前から現在に至るまでの、私の心理状態が、まさに本書で言っている「底つき」だったんだなと感じたからだ。


私のアルコール耐性は、極めて低い。
お酒の味は大好きだが、いかんせん、飲酒後には、いつも決まって不快感にさい悩まされる。
だから、私がアルコール依存症になる可能性は、普通の人よりは低いと思う。
まったく無いとは言わないけどね。


だが、アルコール依存症患者が、苦しんで苦しんで苦しみ抜いた挙句に、やっと得られる(かもしれない)自らの病を克服したい、生き延びたいと感じる「底つき」と言うものは、アルコール依存症だけに言えるものではないなと、強く感じた。


嗜癖という意味で、今までの私は、いつも誰かに依存して生きてきたのは、明らかな事実なのだ。
もちろん、どんな人でも一人では生きていけないのであるから、誰でも大なり小なり、誰かに、もしくは何かに依存して生きている。
しかし、私がここで言いたい「依存」は、そうした一般的な依存関係ではなく、自我の存立を保ち続ける為に、文字どおりサヴァイヴする為に、誰かに、何かに依存し続けなければ一時でも自我を保てないといった意味だ。
その状態は、憑依と表現しても、言い過ぎではないかもしれない。

例えば、私は別れた妻の、私に対する献身的な有り様に、確かに喜んで寄りかかった。
つまり依存していた。
また、妻から依存されることに乗っかった。
依存される事を、これ幸いと利用し、逆に依存し返した、とも言えると思うのだ。
つまりは、私から喜んで、確信犯的に共依存関係になったわけだ。

この辺の心理面の事情は、まだ、私の中ではキレイに整理がついていないので、自分なりに評価を下す事ができないままでいる。
今、こうしてブログを綴りながら、現在進行形で整理している真っ最中だ。

ま、その点は置いておいて...

本書を読んで感じたのは、アルコール依存症者と私のような共依存関係におぼれた人間の、心理面における共通点だ。
つまり、依存対象が薬物であるエタノールだったのか、それとも私との共依存関係を望んだ女性だったのかという違いだけで、実は本質的には、その有り様には共通している点が多々あると、私には思えたのだ。
そう私に思わせる発端となった言葉が、先に挙げた「底つき」という言葉だ。


アルコール依存症者は、そのアルコールへの依存状態が行き着くところまで行って、命の危機を感じ、そこで自暴自棄にさえならなければ、やっとそこからアルコール依存症治療への道を自発的に歩み始める事ができると、本書に書いてあった。
そうした「底つき」と呼ばれるプロセスが、必ず必要なのだと。
そこに至るプロセスが人それぞれで、しかもかなり壮絶。
当人にとっても、当人を取り巻く環境にとっても、かなり壮絶。
命を賭けた、まさに「決死」という言葉がふさわしい壮絶さがあるんだなと、本書を読んで感じた。


同レベルで論じられるのかどうかは分からないが、それは私のような共依存関係におぼれて生きてきた人間にも言えるのかもしれないと、ここ数ヶ月の私の姿と、本書で描かれている「底つき」と呼ばれる状態を重ね合わせてみて、強く感じたのだ。


以前ほどの猛烈さはないのだが、一人で生きていることへの心理的な不安や愛情への飢餓感は、確かにまだ私の中にはある。
私は決して一人ではない。
少なくない人が、私の存在を喜んでくれている。
希望にさえ感じてくれている。
その事は、日々、実感しているのに、やはり心理的な孤絶感、愛情への飢餓感が、確かに私の中にある。
そして、この心理的な孤絶感や愛情への飢餓感があることで、いざという時に、またいともたやすく誰かとの共依存関係を私は選択するのではという危機感を、本書を読んで私は感じたのだ。
同時に、そうした意味では、私は共依存関係におぼれて生きてきた人生の「底つき」を、今現在も、現在進行形で経験しているのではないかと、感じた次第なのだ。


誰か、私を助けてくれないか?

そうした「誰か」を待ち望む事が、私には毒なのだ。
毒は私の心の中にある。
これを私は、吐き出したい。
そうする他に、私の未来はないように思えたのだ。