生き方に、器用も不器用もありはしない。
人生なんて、スマートに生きられるワケがないんだから。
幸せになるためには、どうやったって、必ず苦しむ。
のたうち回る。
どんなに綺麗に着飾ってみても、どんなに立派な豪邸に住んでみても、どんなに膨大な資産を蓄えてみても、人は必ず苦しむ。
各々、形は違えど、苦しみからは誰人も逃れることはできやしない。
それが人生の本当じゃないか。
そして、どの道、苦しむなら、トコトン苦しんでみればいい。
そう思って生きてきた。
苦しむのにも、全て意味があるんだから。
正しい智慧と勇気がさえあれば、全てを生きる意味に変えていけるんだから。
苦しみの中にこそ人生の本当の姿があるなら、徹して苦しんでみればいいだ。
そうした覚悟があってこそ、やっと分かる真実があるはずなんだ。
私は、そう、教わってきた。
若い時に学んだ智慧を、今になって振り返っている。
昨日の「獅子は伴侶を求めず」も、若い時に「意味は分かるが、サッパリ実感が伴わない」と、頭を抱えた言葉だった。
昨夕、その言葉の原典に、久しぶりに触れた。
感動したね。
感謝したね。
苦労してこられてよかったと、心から感謝した。
まだまだなんだけど、確実にこの言葉の意味する方向へと、私は生きている、という実感があった。
それを思うと、感謝しかない。
時間はかけたけど、確かに私は、自分が求めた方向に生きている。
だから、私は何も心配はいらないんだなと、心からの安堵を覚えた。
そして、ますます大胆に生きていこうと思っている。
今これからも、どんなにか苦しむだろうと思う。
でも、それらも全て、意味あることなんだから。
行動と共に、ますます思索も深めていきたい。
思索という名の鍬で、私の心の畑を耕していきたい。
智慧という収穫も、掘り起こしていきたい。
シッカリ睡眠もとって、疲れも抜いていきたい。
本当に幸いなことに、ここ数日の睡眠は、日を追うごとに気持ちの良いものになっている。
私を追い立ててきた不安や迷いが、心から洗い流されつつあることを、実感している。
凄く気持ちいいし、有難い。
混迷に満ちた社会。
不透明な未来。
だからこそ、ブレる必要のない自分を自覚できることが、どれだけ嬉しいか。
本当に、感謝しかない。
感謝はいいが、加齢もあって、頭髪の密集度が哀れなことになっていて、ま、正直、辛いw
今日は床屋に行ってきた。
少し昔の小堺一機みたいになってきているので、サイドを短く刈り上げてもらい、薄毛をごまかすために、明るい色で染め上げてもらう。
白髪隠しの意味もある。
今更、無駄なあがきなんだが、見栄えが少しばかりでもいい方が、いいじゃない?w