本を取り出そうと、押入れを漁った。
しかし、目的の本は、よりにもよって、押入れの一番奥にしまわれた、段ボール箱の中。
おかげで、本をギッシリ詰めた箱を、腰をかがめながら、何個も出し入れしなけりゃならない。
腰を痛めないか、そもそも、こんな重量物を持ち上げられるのかと心配だったが、杞憂に終わってホッとする。
動かした箱の中には、私の幼い頃から二十代までの写真が詰まったアルバムもあった。
特に、中学生から大学生までの写真にまつわる記憶が濃密で、しばし、アルバムから視線をあげられない。
私の忘れっぽい性格を見越してのことだろう、ほとんどの写真に、写ってる奴の名前をしたためた、手書きのキャプションが添えられている。
こういうことだけは、昔から、用意周到だったんだなと笑う。
同じ箱に、高校生時代に、一緒に汗した仲間たちでしたためた寄せ書き。
今度、あいつにも会うから、見せてやろう。
お前、この時の思いを、今でも抱いているかと、問うてやろう。
東京から郷里に戻る際、二十代、三十代を共に汗した仲間たちが、私に書いてよこした寄せ書き。
ズケズケと人の心に踏み込むような激励のおかげで一人前になれそうです、とか、私は先輩を愛してます、とか(男なんだけどw)、昔から俺はこんな奴だったんだなぁと苦笑する。
そこかしこに、懐かしい顔、懐かしい名前を認めては、薫陶の十代、二十代、三十代を想い出す。
私の人生の全ては、この時代に凝縮している。
ページをめくるにつけ、往時の思いが炎(ほむら)のようにたちあがる。
この時も、あの時も、ただただ一途に、一つの目的のために生きていた。
私を取り巻く人たちの為に、私の未来の大成の為にと、前だけを見て生きてきた。
そんな歴史が、まざまざと心中に蘇る。
写真の中で微笑みかける、若かりし私が、今の私に問いかける。
お前、今はどうしてるんだ?
まだ夢を追いかけてるよな?
慄然とする。
現状の厳しさは、脇に置く。
何を安閑として寝っ転がっているんだ?
寝てれば果報が転がり込むとでも思っているのか?
何よりも、何ものも恐れないあのひたむきさは、どうしちまった?
どうだ、頑張っただろう、なんて格好をつけてる場合かい?
何を余裕ぶっこいてる。
お前、54なんだぞ。
まだ54だけど、もう54なんだ。
人生の無常は、もう嫌という程、味わってきただろう。
人生の儚さも、実感しつつあるじゃないか。
青春時代の鍛錬は、今の為にこそあったのだろう?
誰に恥じることのない青春を、駆け抜けてきたんだろう?
その事実の重大さ、その事実の有難さを、お前は本当に分かっているのか?
写真の中の微笑みに、今の私は打ちのめされる。
今こそ、今こそ堅き心だ。
俺は絶対に、現実を変えてみせる。
今朝は久しぶりに、朝7時に目が醒める。
少し頭に気だるさが残ってはいたが、悪くない。
明日は通院だ。
確実に睡眠が良い方向に改質しつつあることを報告しよう。
胸の痛みも覚えることも、ここ最近はありませんと報告しよう。
つまりは、そういう時が到来しつつあるということだ。
時を違えるな!
今が大切だ!
よくもまぁ、こうもジタバタするもんだよね。
見苦しいったらありゃしない。
でもさ、それが「生きる」ってことだよね。